所在地:姫路市夢前町宮置
別 名 :藤丸城
築 城 :文明元年(1469)
初城主:赤松政則
区 分 :山城
遺 構 :石垣,堀切,土塁
城 域 : −
標高 370m
比高 約300m
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専用駐車場を利用
【訪 城】2000年9月,2008年1月
【撮 影】2008年1月
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| 評価項目 |
見所評価 |
| 選地 |
★★☆ |
| 縄張り |
★★★ |
| 普請 |
★★★ |
| 体力消耗度 |
★★★ |
| お勧め度 |
★★★ |
★が多い方がお勧め (三段階評価)
体力消耗度
★:山道はほとんどなし
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り |

置塩城は但馬街道(現国道312号線)と因幡街道(現国道29号線)のほぼ中間、夢前川沿いの標高370mの置塩山に築かれている。
夢前川沿いの櫃蔵神社南側の登山口から見上げる置塩山は “聳える” といった表現がまさにピッタリと当てはまり、幾つかの山城を登った後では少々辛い。
整備された登山道を九十九折りに約30分ほど登ると、茶屋曲輪に着く。置塩山は麓からは急峻な地形をなしているが、一端登ってしまえば茶屋曲輪付近からは広くなだらかな地形で、置塩城はこの広くなだらかな地形を最大限利用して、山中の至る所に曲輪が配され、中世城郭の規模としては播磨地方でも最大級の山城である。
とにかく広大な城域で逐一説明は難しく、置塩城の特徴的なところを紹介する。
茶屋曲輪から下がった南西曲輪群には城中最大の石垣(高さ約1.5m、長さ約6m)が残っている。
天正9年(1581)羽柴秀吉が中国・毛利攻めに際して姫路城の築城をする際、この置塩城から石材や建物を運び去ったといわれており、赤松氏の時代にどのような城であったか推測するしかないが、城郭の西端の曲輪にこれほどの石垣があることから、当時は総石垣作りの城ではなかったかと推察される。
中核部の三の丸と二ノ丸間には堀切が設けられ、この堀切を堀底道として使っている点は特徴的で、彦根城の鐘の丸と本丸間の堀切を思い起こさせる。
本丸は尾根上の小さなピークに築かれ、二の曲輪群から比高差は30〜40mm。本丸の西側斜面の曲輪切岸にも高さ3mほどの石垣が残っている。
本丸の南側支尾根にも2段の袖曲輪が配されているが、東側尾根筋は斜度が急峻であるためか、防御施設はない。
本丸は20m×20mほどの広さであるが、360度の大パノラマが広がり、何とも壮大である。

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置塩城は文明元年(1469)播磨、備前、美作の守護職・赤松政則が築いた城であるが、赤松政則が置塩城を築くまでには、苦難の道のりがあった。
嘉吉元年(1441年)に赤松満祐が六代将軍足利義教を暗殺し、領国播磨で幕府方討伐軍に敗れて播磨国、備前国、美作国の守護の座を追われた(嘉吉の乱)。
応仁元年(1467年)に起きた応仁文明の乱では、赤松満祐の甥にあたる赤松政則は東軍(細川勝元側)に与したことで、赤松氏の旧領であった播磨、備前、美作を回復し、文明3年(1471年)に侍所頭人に任じられ、置塩城を築くに至った。
その後、百余年間にわたって置塩城は播磨守護赤松氏5代の居城となった。
天正5年(1577)織田信長の命をうけて播磨に進攻してきた羽柴秀吉に対し、置塩城の赤松氏5代目の則房は別所長治、小寺政職、小寺孝高等と共に秀吉に屈服して置塩城を開城した。
天正9年(1581)秀吉の中国攻め拠点として姫路城が築城されたことにより、置塩城は廃城となり、建物と共に石垣は石材として姫路城建設の用材として使われた。
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観 光
■書写山円教寺
書写山(標高370m)は姫路市の北部にあり、山上の円教寺は性空上人によって開かれた天台宗のお寺で西の比叡山ともいわれ、西国霊場の第27番札所として知られている。
天正6年、羽柴秀吉が播磨三木城主の別所長治を攻めた時、書写山に砦を作り陣を据えたところでもある。
近年では、「ラストサムライ」の舞台にもなっている。
■姫路城西御屋敷跡庭園(好古園)
姫路城西御屋敷跡庭園「好古園」は、発掘調査で確認された姫路城の遺構を生かし、市制100周年を記念して平成4年に造営された日本庭園。
姫路城の南西に位置し、面積は約1万坪(3.5ha)。
滝や池のある池泉回遊式の「御屋敷の庭」や本格的数奇屋建築の茶室、双樹庵のある「茶の庭」など9 つの庭園群で構成。江戸時代をしのばせる築地塀や屋敷門・長屋門などがあり、時代劇や大河ドラマのロケ地としても使われている。
■姫路市立美術館
姫路市本町68-25
TEL:079-222-2288
ポール・デルヴォーをはじめとするベルギー美術、姫路にゆかりのある作家たちの作品も収蔵しているほか、企画展も随時開催されている。
入館料:大人200円
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お勧め度

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