所在地:兵庫県姫路市本町
別 名 :白鷺城
築 城 : −
初城主:赤松貞範
区 分 :平山城
遺 構 :天守,櫓,門、石垣、堀
城 域 : −
標高 46m
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有料駐車場を利用
【訪 城】2000年9月,2008年1月
【撮 影】2008年1月
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| 評価項目 |
見所評価 |
| 選地 |
★★☆ |
| 縄張り |
★★★ |
| 普請 |
★★★ |
| 体力消耗度 |
★★☆ |
| お勧め度 |
★★★ |
★が多い方がお勧め (三段階評価)
体力消耗度
★:山道はほとんどなし
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り |

現在の姫路城の原形は、慶長5年(1600)関が原の戦後に徳川家康の女婿の池田輝政が築いたもので、当時徳川方の城として唯一豊臣方の大阪城の西に築かれ、西国の豊臣方の大名達の動向に対して睨みをきかせた城である。
現在、姫路城を見て歩くコースは内曲輪の約半分で、築城当時の姫路城は、南は山陽道(現国道2号線)、北は城内図書館、西は大野川、東は現在の外堀(姫路医療センター)までで、現在の姫路城を廻っているだけでは、想像し難い広さである。
姫路城の天守は3つの小天守を伴った5重6階の白漆喰総塗籠造りで、幾重にも重なる千鳥破風や唐破風の外装が白鷺の飛ぶ姿に見えるため「白鷺城」とも呼ばれている。
天守閣が白いのにはひとつの理由があるとされる。それは慶長6年(1601)に池田輝政が姫路城を大改修した当時、豊臣方の城は宇喜多秀家の岡山城や加藤清正の熊本城に代表されるように平板を壁に貼った黒い城であった。池田輝政は豊臣方の黒い城に対し、姫路城を江戸城と同じ白亜の城にしたといわれている。
天守は標高46mの姫山に石垣部が14.85m、建物高さは31.5m、総高さは92mを誇る。この天守は根元直径1m近い太さの2本の芯柱で支える特徴的な構造となっている。
芯柱のうち東大柱はもとは樅の木の一本材だったが、昭和の解体修理(昭和31〜39年)の際に檜材で根継ぎして補強され、西大柱は3階部分で栂と樅材を継いでいたのを、昭和の解体修理で檜材で元の3階部分で継ぎ鉄輪で補強されている。
なお、城内には化粧櫓、西の丸長局などの櫓が残り、市内には内京口門、外京口門、中門、東門、埋め門、G門、惣社門の跡、および内堀,外堀が残っている。

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姫路城の創築は、元弘3年(1333)赤松則村(円心)が護良親王の命により挙兵して京に兵をすすめる途中に、姫山に砦を築いたという説と、天文24年(1555)から永禄4年(1561)の間に黒田官兵衛孝高の祖父と父である黒田重隆と職隆が主君小寺政職の許しを得て御着城の出城として築いたという説があり、定かではない。
天正8年(1580)羽柴秀吉の中国攻略のため、黒田孝高が秀吉に城を献上し、秀吉は3層の天守閣を築いた。この時、秀吉は赤松氏の居城であった置塩城から石材や建物を運び去ったといわれており、現在の 「と」の門は置塩城の大手門を移築したものと伝えられている。
慶長5年(1600)関が原の戦の後、徳川家康の女婿の池田輝政が播磨52万石の城主として入城し、1601年(慶長6年)から大改修を開始し、9年の歳月をかけて完成したとされる。
元和3年(1617)池田光政が鳥取城へ移り、本多忠政が姫路城主になって、その子忠刻の奥方に千姫(徳川秀忠の長女)を迎え、化粧櫓や西の丸等を増築し、元和4年(1618)現在の姫路城が完成した。
その後、松平、本多、榊原氏等が城主として入れ替わり、寛延2年(1749)には酒井忠恭城主となって酒井氏が明治維新まで続いた。
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観 光
■書写山円教寺
書写山(標高370m)は姫路市の北部にあり、山上の円教寺は性空上人によって開かれた天台宗のお寺で西の比叡山ともいわれ、西国霊場の第27番札所として知られている。
天正6年、羽柴秀吉が播磨三木城主の別所長治を攻めた時、書写山に砦を作り陣を据えたところでもある。
近年では、「ラストサムライ」の舞台にもなっている。
■姫路城西御屋敷跡庭園(好古園)
姫路城西御屋敷跡庭園「好古園」は、発掘調査で確認された姫路城の遺構を生かし、市制100周年を記念して平成4年に造営された日本庭園。
姫路城の南西に位置し、面積は約1万坪(3.5ha)。
滝や池のある池泉回遊式の「御屋敷の庭」や本格的数奇屋建築の茶室、双樹庵のある「茶の庭」など9 つの庭園群で構成。江戸時代をしのばせる築地塀や屋敷門・長屋門などがあり、時代劇や大河ドラマのロケ地としても使われている。
■姫路市立美術館
姫路市本町68-25
TEL:079-222-2288
ポール・デルヴォーをはじめとするベルギー美術、姫路にゆかりのある作家たちの作品も収蔵しているほか、企画展も随時開催されている。
入館料:大人200円
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お勧め度

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