所在地:伊丹市伊丹2丁目
別 名 :伊丹城
築 城 :南北朝期
初城主:伊丹氏
区 分 :平城
遺 構 :石垣、空堀,曲輪、井戸跡
城 域 :1600m×800m
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JR伊丹駅下車
詳細位置はコチラ

駐車場はなし
【訪 城】2005年10月,2007年8月
【撮 影】2005年10月
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| 評価項目 |
見所評価 |
| 選地 |
★★☆ |
| 縄張り |
★☆☆ |
| 普請 |
★☆☆ |
| 体力消耗度 |
★☆☆ |
| お勧め度 |
★★☆ |
★が多い方がお勧め (三段階評価)
体力消耗度
★:山道はほとんどなし
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り |

有岡城は猪名川の西岸の河岸段丘を利用して築かれ、南北約1600m×東西約800mの広大な城域をもつ惣構の城であったとされる。
本丸はJR伊丹駅を中心とした一帯であるが、駅の建設、道路の敷設で中核部のほとんどは失われ、現在ではJR伊丹駅の前に史跡公園として曲輪と、曲輪に伴う石垣、および空掘が整備・保存されているだけである。
この公園は本丸の北西隅にあたり、天守台は現在の伊丹駅の南西にある小高い地形をなしている忠魂碑のあたりではないかと推定されている。
また惣構の拠点には岸の砦(北の砦),上臈塚砦,鵯塚砦を配置していたが、岸の砦(現猪名野神社)に土塁が残るのみで、市街化に伴い遺構のほとんどが失われている。
唯一、戦国期における有岡城の有り様を想像することができるのが、JR伊丹駅の周辺地形である。JR伊丹駅の東側は猪名川が蛇行して流れ、猪名川との比高差は10mほどもあり、またJR伊丹駅の下り線ホーム西側は忠魂碑の伊丹台地の丘陵地形が迫っている。
有岡城は西側に大手を開いていたとされるが、こうした段丘地形を背後にした“後堅固の城”であったことが窺える。
有岡城は14世紀の南北朝期から約300年にわたってこの地を支配した豪族伊丹氏が猪名川の西岸に築いた居館を築いたのを創築とする。
天正2年(1574)に伊丹氏が滅び、そのあとに入った織田信長の家臣荒木村重は惣構の城を築城し、伊丹城から有岡城へと改称した。
天正7年(1579)、突如織田信長に反旗を翻した荒木村重は有岡城に籠城し、約1年にわたって抵抗するが、織田軍の前に有岡城は落城。
荒木村重は単身で尼崎城へ脱出した後、有岡城に残された一族は、嫡男村次と末子の岩佐又兵衛を除いてことごとく処刑された。
荒木村重がこの有岡城で籠城した際に黒田官兵衛孝高が幽閉されている。
天正8年(1580)池田之助が城主となるが、天正11年(1583)美濃に転封された後は廃城となった。 |
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