| 鶴ケ城 |
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| 【城郭の概要】 所在地:瑞浪市土岐町鶴城 別 名 :神篦城,国府城,高野城 築 城 :12世紀末 初城主:土岐光衡 区 分 :山城 遺 構 :堀切,井戸.土塁 城 域 : − 標高 280m 比高 100m 県指定史跡 |
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【現地への案内】 国道19号線て平行して走る県道352号線の鶴城信号を西に入り、中央高速道路横 【駐車場】路上駐車 【訪 城】2002年3月 【撮 影】2002年3月
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【現地の状況】 急斜面の山道を登ると二の木戸、一の木戸を経て5分足らずで西出丸に着く。西出丸下の曲輪は斜面を登ってくる敵を猊下するような位置に設けられており、非常に重要な役目を担ってる。西出丸は先端まで出ると土岐川に沿って走る街道を南方だけでなく北方までを遠望することが出来る。周囲には帯曲輪を伴っているが、曲輪周囲は絶壁で帯曲輪の必要性すら感じさせない。 西出丸からなだらかな窪地状の平場を経て本丸に至る。この間正面上方の本丸、及び窪地を取り囲むように本丸から西出丸に向かって延びる堅土塁上方からの攻撃に身をさらすことになる。この城の防御思想は地形を巧みに利用した上方からの攻撃にある。 本丸周囲は高天神城(静岡県小笠郡大東町)にも比肩するような断崖絶壁で全く敵を寄せ付けることすらないと思える。 本丸からは西と北に尾根が延びるが、西の尾根は堀底幅6m、堀幅は15mにも及ぶ大堀切で処理されている。北側尾根も堀切で処理され、切岸は西側尾根にも匹敵する断崖で、その高低差は15m前後におよぶ。とにかく、要害堅固を絵に描いたような城である。 【城郭の歴史】 創築は土岐光衡とも云われるが、異説も多く不明。 【現地案内板の紹介】 鎌倉時代美濃国守護になった土岐光衡は土岐邑の一日市場に居館を設け、神篦のこの地に城を築いて鶴ケ城と称し、四周を整えて美濃統治の本拠とした。 その曽孫で室町時代初期の守護に任ぜられ土岐氏繁栄のもとを築いた頼貞もこれに倣い、ここを美濃府城の地とした。 この他に、本城は頼貞の第十子で正中変に殉じた土岐頼兼の城として有名であり、以降関ヶ原合戦まで神野城,土岐城とも呼ばれて戦史にその名を載せており、天正10年(1582)2月の織田対武田合戦時には、信長,信忠父子も本城に入城し、ここから武田氏攻略の軍を発進させている。
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