
【現地への案内】
国道365号線下多羅(多羅狂峡口)信号を西入る、狩谷川を渡り上石津町郷土資料館横
詳細位置はコチラ 
【駐車場】郷土資料館駐車場を利用
【訪 城】2003年3月
【撮 影】2003年3月

| 評価項目 |
見所評価(三段階評価) |
| 選地 |
★★☆ |
| 縄張り |
★☆☆ |
| 普請 |
★☆☆ |
| 体力消耗度 |
★☆☆ |
| お勧め度 |
★★☆ |
★が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
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【現地の状況】
多羅城は現地では西高木家陣屋として親しまれており、現地の案内板にも多羅城といった名称は一切使われておらず、一時は別のものかとおもった。ここでは以下、西高木家陣屋として表記していく。
西高木家陣屋は多羅地区の高台にあり、背後に浸食谷を控えた要害地形を利用して築城されている。また、陣屋前を伊勢街道が通り、伊勢街道の監視・押さえの役目を担っていたことは容易に推察できる。
陣屋跡には、長屋門と陣屋東側の斜面には見事な石垣と埋門が残されている。
西高木家の長屋門
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高木家は西高木家以外に東高木家,北高木家の2家があり、いずれも伊勢街道を挟んで隣接しており、東高木家は伊勢街道に面して蔵と一部の石垣が残っているが、北高木家にいたては石垣の一部しか残っていない。
陣屋南側に郷土資料館が建てられ、駐車場など陣屋周辺の整備もなされ、観光化が図られようとしているようだ。
【城郭の歴史】
徳川家幕府の旗本、高木三家の西高木家の貞利が二千石を与えられて多羅城を築いたとされている。高木家は代々美濃,尾張,伊勢の川奉行を命ぜられ、幕末に至るまで河川の改修工事に少なからぬ功績を挙げている。
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