| 大森城 |
| HOME > 岐阜県の城郭 |
| 【城郭の概要】 所在地:可児市大森 別 名 : − 築 城 :永禄年間 初城主:奥村氏 区 分 :平山城 遺 構 :横堀,堀切,竪堀,土塁 城 域 : - 市指定史跡 |
![]()
|
|||||||||||||
【現地への案内】 国道248号線JR太多線下切駅、駅から北東へ焼く1km、大森神社へ 詳細位置はコチラ ![]() 【駐車場】大森神社の駐車場5〜6台 【訪 城】2003年9月 【撮 影】2003年9月
|
【現地の状況】 中世城郭を楽しむ方法として、事前に縄張り図を入手して、縄張り図を片手に遺構を確認していく方法と、縄張りを持たずに遺構を探して山中を歩き廻る方法がある。 勿論、事前に縄張り図を入手しておくほうが、遺構の見落としなどもなく、良いのは云うまでもない。 しかし、訪城する全ての城の縄張り図を入手するのは容易ではないし、縄張り図を持たずに、私が築城者なら "きっとここに堀切を入れるだろうな〜" 等と考え、その予想通りに堀切が配置されていたときの喜びと充実感は、築城者と一体感が得られ、何物にも代え難い喜びが得られる。こうした城は数少ないのであるが、この大森城はその数少ない城のひとつである。 前置きが長くなってしまったが、この大森城、事前に見事な遺構が残っているとの情報を得ていたが、縄張り図を入手できないままの訪城となった。 大森神社の駐車場に車を止め、神社に設置されている大森城の案内板の縄張り図をみた時は、持っていた期待感が小さくなっていくのを押さえきれなかった。 しかし、大森城の縄張りは案内板に記載されているものとは全く違い、城郭ファンを十二分に堪能させてくれる縄張りであった。 大森城は西から続く丘陵地の先端に築かれているが、地形的には独立丘といえ、主曲輪を中心に南側には堀切を介して二の曲輪、二の曲輪に先には二本の堀切を配している。また主曲輪と二の曲輪の周囲には横堀を巡らし、北端では空堀が竪堀へと変化し、袖曲輪を介して堀切が横堀とドッキングするなど独特の築城思想が読みとれる。南斜面には幾つかの曲輪を配し、曲輪の切岸を使い緩斜面の弱点を補うといった形で、さほど要害地形ではないが、非常にうまく造られている。 その他、幾つかの特徴を挙げていくと、主曲輪北側の櫓台は、右手に竪堀、左手に曲輪を見下ろす形で配置され、防御の要的な役割を担わせているのが窺える。また、この屋裏台の背後には堀切を入れ、独立させている。 主曲輪への虎口には土止めの石積みが確認でき、主曲輪の削平状態も極めて良い。 【城郭の歴史】 大森城は中世の山城で、天正10年(152)6月に金山城主(現兼山町内)元長可の攻撃により落城するまで奥村又八郎の居城であった。 天文年間(1530年代)の可児を中心とする情勢は蜂屋・堂洞城に岸氏、久々利城に土岐悪五郎、土田城に生駒氏、御嵩城に小栗氏などがあり、大森の奥村氏などと群立していたという。 大森城は比較的遺構がよく残り、高さ35mの丘陵頂部に東西約20m、南北約25mにわたり整地され、本丸となっている。また、本丸下は東側を中心に幅3mの空堀がめぐり、土居も築かれ、北西には広さ250〜300m2の平坦地が二面続き、二の曲輪,三の曲輪としている。
|
| HOME > 岐阜県の城郭 |