
【現地への案内】
JR高山本線 飛騨細江駅の西約500m
詳細位置はコチラ 
【駐車場】路上駐車
【訪 城】2005年6月
【撮 影】2005年6月

| 評価項目 |
見所評価(三段階評価) |
| 選地 |
★★★ |
| 縄張り |
★★★ |
| 普請 |
★★★ |
| 体力消耗度 |
★★☆ |
| お勧め度 |
★★★ |
★が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
|
【現地の状況】
古川町は越前、越中など北方から飛騨国へ入る喉元とも云える地である。特にこの野口城は越中西街道(現国道360号線)、および越中東街道(現国道41号線)が交わる要衝を押さえる地にある。
野口城は数河高原から西に延びる支尾根の先端、標高588m(比高約100m)の山に築かれているが、尾根の西端は宮川に落ち込むような地形で、西側の急斜面は人を寄せつけるこ付けない。現在は国道41号線、およびJRが西側を走り、山にとりつくことさえ出来ない。
山形からは北側の尾根筋からが登りやすそうであるが、アプローチが長くなるため、JR飛騨細江駅の西側の踏切を渡り、墓地から谷筋を登る。谷筋を詰めること約10分で尾根に切られた小さな堀切に出る。
堀切の右手に30m×25mほどの曲輪がある。ここでは便宜上、この曲輪を二の曲輪としておく。野口城は大きくは3つの曲輪から構成されており、二の曲輪が防御状の拠点ととなっている。二の曲輪の南側に主曲輪を置き、二の曲輪の東側尾根に三の曲輪を配し、これら曲輪が登ってきた谷筋を取り囲むように
“コの字型” に配置されている。
主曲輪中央部の櫓台
 |
二の曲輪の削平状態は極めて良く、北側に土塁を介して堀底幅で3〜4m、堀の上部で幅は10mを超える大きな堀切を入れ、堀切の更に北側には未削平の曲輪を配し、曲輪の先には二重の堀切と横堀で処理している。
三の曲輪は二の曲輪から東に延びる支尾根状にあり、南側谷筋は階段状の曲輪で切岸を使った防御、北側尾根筋は畝状竪堀と3条の堀切で、二の曲輪同様に北方防御の意識が強い。
主曲輪は二の曲輪の約50m南の尾根上にあり、南北約30m、東西約60mと城中最大の広さで、ほぼ中央部に櫓台を有するが、主曲輪へは10mを越える切り立った切岸で登るルートが見あたらない。比較的切岸高さの低い西側に迂回して主曲輪内に入るが、櫓台に登るにもまた道がない。(^^; 5〜6mの切岸を雑木を頼りに登る。櫓台中央部にはテレビ塔と社が祀られている。
今まで堀切を渡るルートがないのは幾つもの山城で経験してきた、堀切の本来目的等すれば当たり前のことであるが、曲輪から曲輪へ行くのに、そのルート(道)がないと云うのは初めてのことである。野口城の3つの曲輪は、縄張りを観る場合にも独立性が高く、こうした意識の表れだろうか。
いずれにしても、野口城の縄張り全体から観た場合も、北方防御の意識が高く、やはり、天正13年の金森長近の飛騨侵攻に伴い、越中西街道、および越中東街道からの攻撃に備えて改修されたのではなかろうか。
【城郭の歴史】
詳細不明
|