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【城郭の概要】
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【現地への案内】 国道257号線から苗木遠山資料館へ 詳細位置はコチラ ![]() 【駐車場】専用駐車 【訪 城】2000年8月,2008年5月 【撮 影】2008年5月
★が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい) |
【現地の状況】 苗木城は中津川市街の北方、木曽川の恵那峡入口の断崖上にあり、地山の巨石を巧みに石垣に取り込んで、累々たる石垣が築かれている。 大きさの不揃いな野面積みの石垣と、切り込みハギ、そして巨石が絶妙のコントラストを演出している。 極め付きは天守台からの眺望である。木曽川を眼下におさめる景色は素晴らしいの一語に尽きる。
【城郭の歴史】 恵那郡福岡町の広恵寺城に拠っていた一雲入道が高森山頂に苗木城を築いて移り、左近佐直廉を称したのが始まりとされている。 元亀元年(1570)直廉が没すると、信長は飯羽間城主・右衛門佐友勝の子、久兵衛尉友忠に苗木城を継がせた。 元亀3年(1573)11月武田信玄は伊那高遠城城主秋山晴近(信友)を将として美濃に侵入させた。 遠山方の諸将は上村(上矢作町)で戦って敗れ、飯羽間城,岩村城などは落城したが、苗木城は信長方の城として最後まで機能した。 天正11年(1583)遠山友忠は秀吉方の兼山城城主の森長可と戦い、苗木城を出奔し、苗木城は長可の手に落ちた。 その後、関ヶ原の合戦に際し、友忠、友政父子は家康の命により西軍に属する直次の守る苗木城を奪取し、戦後友政は恵那、加茂両郡の内で1万500石を領知し、子孫相承し明治に至った。 |
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