| 御嵩城(本陣山城) |
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| 【城郭の概要】 所在地:可児郡御嵩町城町 別 名 : − 築 城 : − 初城主:小栗信濃守 区 分 :山城 遺 構 :土塁,横堀 城 域 : − |
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【現地への案内】 国道21号線から名鉄広見線・御嵩駅横を通り、南へ約1km 詳細位置はコチラ ![]() 【駐車場】専用駐車30〜40台 【訪 城】2003年4月 【撮 影】2003年4月
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【現地の状況】 御嵩城は本陣山城、および、南300mにある権現山城の二つを併せて、御嵩城と称されている。 本陣山城へは車で麓まで上がることが出来、主曲輪には城をイメージしたのであろうか、「けったいなモニュメント」が建てられている。北の曲輪(二の曲輪)からは東〜北〜西の眺望が開け、天気の良いときには伊吹山を望むことが出来るという。東側には二段の帯曲輪が確認される。 【城郭の歴史】 この城は天文年間(1532〜54)に御嵩を拠点としていた戦国武将小栗信濃守が築城した山城で、石組みによる構造物(石塁など)の使用が認められない古い時代の城址と伝えられている。 小栗信濃守はこの城を築く以前には隣接する権現山に城を構えていたが、度重なる戦いにより、今後の戦いに万全を期すことを目的とし、より防御の堅いこの地に城を移築したとされる。 しかしながら、天文21年(1552)土岐郡高山(原土岐氏土岐町高山)にあった高山城の攻略を目論んだ小栗信濃守の軍勢は、勢い城に攻め入ったものの形勢は不利となり、逆に土岐郡小里(現瑞浪市稲津町小里)に拠点を置いていた武将小里出羽守光忠と恵那郡明智(現恵那郡明智町)に城を構えていた武将遠山与助らの軍勢に攻め込まれ、ついに小栗信濃守は敗戦、御嵩城は落城した。 城主小栗信濃守は自害し、配下の者も四散した。この時の城主の小栗信濃守には、二十歳になる娘があり、この戦いに娘も果敢に参戦し小栗・遠山の軍勢と刃を交えたが、敗北と「父信濃守死す」の知らせに直面し、己の操を守り通すためと父信濃守の後を追うために、城の北側の断崖絶壁より身を投じて自害したという伝説も残り、自害したとされる場所も「甘ヶ平」と呼ばれ今に伝わっている。 城が構えられた本陣(ほんじ)山の地形は東西が峻険な斜面となり、北は可児川と面した崖という地理的環境にあり、自然の要害として城を築くには最適地であったという。 城本来の規模は今に至っても明確ではないが、本丸・二の丸・三の丸の各曲輪、これらを区切り更に防御の施設となる空堀、そして本丸などの施設を設けた山頂部より枝城に延びた尾根上には、人工的に造り出された小平地の帯曲輪・腰曲輪、物見などが広範囲に設けられていたようである。これらの遺構は開発などにより大部分が削平され失われたが、城の主郭となる部分(本丸曲輪・二の丸曲輪・二ヶ所の堀切)は図のように現存している。 なお、御嵩城とは、この本陣山城址と権現山城址を合わせた呼称である。 |
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