
【現地への案内】
国道19号線泉仲森町信号を南入る、土岐津橋を渡り、城山配水池へ
詳細位置はコチラ 
【駐車場】城内三の曲輪に駐車約10台
【訪 城】2003年9月
【撮 影】2003年9月

| 評価項目 |
見所評価(三段階評価) |
| 選地 |
★★☆ |
| 縄張り |
★☆☆ |
| 普請 |
★☆☆ |
| 体力消耗度 |
★☆☆ |
| お勧め度 |
★★☆ |
★が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
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【現地の状況】
土岐津町高山地区で土岐川に架かる土岐津橋を渡って、高山区民会館の前を山手、南に入る。高山霊園を目指して、左へ左と道をとる。途中、高山城の案内板があり、駐車場とおぼしきところに車を止めるが、ここが三の曲輪である。
三の曲輪の北に二の曲輪と一の曲輪配した曲輪配置で、三の曲輪と一の曲輪の高低差は1〜2mほど、広い一の曲輪の大部分を水道施設が占拠している。周囲は笹や雑草で覆われているが、ありがたいことに水道施設の周囲だけは草刈りがされ、主曲輪の北端まで藪を漕ぐことなく歩ける。北端からは眼下に土岐川を望み、西〜北の眺望抜群である。周囲は絶壁をなし、まさに要害地形である。
三の曲輪の南側には堀切が設けられていたようであるが、道路を通す際に消失したのか確認できなかった。
【城郭の歴史】
◆立地◆
高山城は土岐川の氾濫原を見下ろす標高183mの細い丘陵地に立地しています。麓からの比高差はおよそ57mで、通称サバといわれる砂岩層の断崖状に築かれています。
◆構造◆
現在は水道貯水池が築かれており、当時の構造を知ることはできませんが、三つの曲輪によって構成されていたといわれ、北端や南端に曲輪の名残を留めています。
◆歴史◆
高山城の築城については諸説があり判然としませんが、高山伊賀守光俊、平井宮内小輔光行らが城主であったと伝えられています。
天正2年(1574)光行の子平井頼母光村が城主の時、甲斐の武田勝頼の東美濃攻めによって攻略され、その後、慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの際に、東軍妻木勢によって攻められ落城したと云われています。
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