| 松尾山城 |
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| 【城郭の概要】 所在地:不破郡関ヶ原町松尾 別 名 :長亭軒 築 城 :応永元年(1394) 初城主:富島氏 区 分 :山城 遺 構 :土塁,竪堀,堀切 城 域 : − 標高 432m 比高 12m 県指定史跡 |
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【現地への案内】 国道21号線山中地区から南へ約1km 詳細位置はコチラ ![]() 【駐車場】麓の空地に2〜3台 【訪 城】2001年5月 【撮 影】2001年5月
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【現地の状況】 松尾山といえば関ヶ原の戦いがすぐに浮かぶほど知名度が高い。これは松尾山に陣取った小早川秀秋が西軍を裏切ったことで、東軍の徳川家康が勝利をおさめた大きな要因になっているからに他ならない。 この松尾山には小早川軍が陣を構えた見事な城郭遺構が残っている。しかし、関ヶ原の戦いが慶長5年(1600)9月15日であるのに対し、小早川軍が松尾山に陣取ったのが9月14日であることから、今日松尾山に残っている遺構は小早川軍が構築したものではなく、小早川軍よりも先に入っていた伊藤長門守某が築いたものと考えられている。また、もうひとつの可能性として朝倉攻めの信長に離反した浅井長政が対織田戦に備えて元亀元年(1570)に築城した事が考えられる。 詳細は 信長公記に見る近江の城郭 ,現地説明会講演要旨集・関ヶ原合戦 を参照下さい。 松尾山麓に車を置き、ハイキング道並み整備された道を30〜40分も登ると、周囲を土塁で囲まれた主曲輪に着く。主曲輪南側には枡形虎口が見られる。また主曲輪を中心として四方に延びる尾根にはそれぞれ曲輪が配置されているが、曲輪配置、および曲輪周囲の土塁の向きなどからは、この城がどの方向の敵に対して築城されているのか判断し難い。 関ヶ原の戦いから遡ること17年、天正11年(1583)の賤ヶ岳の戦いにおいて築かれた陣城の中で小早川軍と同規模の5,000人の軍勢が2ヶ月以上も立てこもった堀秀政の東野山砦と比較しても、勝るとも劣らない広さで、この城が短期間のうちに築城されたとは考え難い。 さて、この松尾山山頂からの眺望であるが、関ヶ原の主戦場が一望できることにかけては石田三成の本陣である笹尾山、徳川家康の本陣である桃配山の比ではない。 小早川秀秋の裏切りについては、最初から西軍を裏切るつもりであったという説があるが、この松尾山の主曲輪に立って関ヶ原の主戦場を眼下におくと、仮に東軍に寝返るつもりでいたとしても、戦況を見ながら相当迷ったであろうことは想像がつく。
【城郭の歴史】 ・応永年間(1394から1428)小守護富島氏城を築く(築城資料初見) ・永禄12年(1569)信長に帰属 ・元亀元年(1570年)浅井長政修築 ・天正元年(1573)信長、浅井氏討伐後、不破河内守光治を警備に当た らせる ・天正4年(1567)境城の使命終わる ・天正7年(1579)廃城 ・慶長5年(1600)小早川秀秋陣所とする |
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