
【現地への案内】
国道157号線加茂の信号を南入る、大井神社から南東へ100m
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【駐車場】空地に駐車
【訪 城】2003年7月
【撮 影】2003年7月

| 評価項目 |
見所評価(三段階評価) |
| 選地 |
★☆☆ |
| 縄張り |
★☆☆ |
| 普請 |
★☆☆ |
| 体力消耗度 |
★☆☆ |
| お勧め度 |
★☆☆ |
★が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
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【現地の状況】
北方地区の閑静な住宅地の中、一画に城址碑が建てられている。元々は大井神社から北方神社一帯が城域であったようだ。
【城郭の歴史】
北方城は伊賀太郎左衛門光就が築城し居城とした。光就の孫守就は斉藤氏の滅亡後、織田信長に仕え、元亀元年(1570)6月の姉川の合戦、翌年の長島一向一揆討伐に参戦して大功をたてた。
天正8年(1580)嫡子河渡城主尚就が甲斐武田氏と内通をしたという嫌疑で信長の勘気を受けたので、守就は北方城を出て武儀郡谷口村に屏居した。信長は守就の故領を収めて稲葉一鉄に預けた。
天正10年6月2日織田信長が京都本能寺で明智光秀に害されると守就は一族旧臣を集め北方城に拠ったが、稲葉一鉄,貞通父子に攻められて落城した。(北方合戦という)
北方城は土居城で殿守(天守閣)はなく、惣構は「大井神社」の前通りを南へ「田町」の筋までと「天王町」を東へ「地下」東の道に至る約3町四方の大きさであった。北の端、真ん中に90m,120m四方ほどの本丸があった。
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