| 郡上八幡城 |
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| 【城郭の概要】 所在地:郡上郡八幡町 別 名 :積翠城,郡城 築 城 :永禄2年(1559) 初城主:遠藤盛数 区 分 :山城 遺 構 :石垣,模擬天守閣,模擬隅櫓,城門 城 域 : − 標高 350m 県指定史跡 |
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【現地への案内】 国道156号線城南のの信号を右折、国道256号線を東八幡大橋を渡り左手 【駐車場】専用駐車場 【訪 城】2000年8月 【撮 影】2000年8月
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【現地の状況】 八幡市は長良川に沿って美濃から北上してきた街道が、福井県大野、飛騨高山に分岐する位置にある。郡上八幡城はその八幡市の東、吉田川と小駄良川が合流する手前、二つの川に挟まれた小高い八幡山の山頂に築城されており、山頂からの眺望はすこぶる良い。 復興された模擬天守閣は木造と云うこともあって、趣もあり模擬とは感じさせない。 山頂が狭く、カメラアングルに困るが絵になるお城である。 本丸跡には築城の際、人柱となった女性の冥福を祈るため盛数が建てた祠堂が残る。 【城郭の歴史】 永禄2年(1559)遠藤盛数が東殿山(市街地南方)の東家を滅ぼし八幡城を築いたのがこの城の創始である。後、秀吉が天下を統一し、領地2万石を没収せられて加茂郡小原に転封され稲葉右京亮貞通が城主となり城郭を修築して天守台などを設けた。やがて関ヶ原合戦が起こると遠藤康隆は家康に味方し、慶長5年(1600)再び遠藤氏が城主となった。 元禄5年(1692)遠藤氏後嗣なく没収せられ常陸より井上正任が城主(4万石)となって来封したが間もなく同11年金森頼□がこれに変わって封ぜられた。宝暦8年金森頼錦の晩年になって執政のため農民困窮甚だしく、ついに金森騒動宝暦義民の一揆が起こり、そのため一家は断絶され、同年丹後国宮津の城主青山幸道が変わって郡上藩主となり八幡城下4万8千石を領することとなった。その後藩政良く治まって、その後明治維新によって廃城となり、昭和8年模擬天守閣が作られたのである。
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