
【現地への案内】
国道156号線から林道を約10分、林道が分岐する所に案内板がある
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【駐車場】空地を利用、2台程度
【訪 城】2003年6月
【撮 影】2003年6月

| 評価項目 |
見所評価(三段階評価) |
| 選地 |
★★☆ |
| 縄張り |
★★☆ |
| 普請 |
★★☆ |
| 体力消耗度 |
★☆☆ |
| お勧め度 |
★★☆ |
★が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
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【現地の状況】
舗装された林道を車で登り、案内板前に駐車。ここからは徒歩で3分。
曲輪の削平状態はよくなく、単郭の城であるにも関わらず、いくつかの曲輪があるような印象を受ける。
西から南にかけての斜面は比較的なだらかで、周囲には畝状竪堀が20条近く巡らされている。これは篠脇城と同じように床堀と連結した形状で、臼の目堀と呼ばれる特徴ある形状をなしている。
北側斜面は斜度が急なためか、竪堀は掘られていない。現地の案内板には、二日町城は「北方防御の備えとして、東氏が築いた」とあるが、現在の縄狩りからは北方防御のために築かれた城とするには疑問が残る。東氏が築城した当時は北方防御のためであったろうが、その後改修されているのではないか。
曲輪の東端に「人柱の桧」が2本不気味に枝を伸ばしている。
桧の横から北に尾根がのび、この尾根には堀切が配置されているが、桧の横を通るのが不気味で遠目から観察するにとどめた。
説明文を読んでいて、背中に寒さを覚えた。(^^)
近くの金剛寺跡には、地元の大西氏が建てた金剛山・大西城の三層天守閣が国道156号線から遠望できる。近くでみると木造でなかなか良くできたお城である。
天守閣内部も見せて頂けるとか、私が行ったときには、あいにく閉まっていた。
【人柱の桧】
鎌倉時代に山田庄城を構え、郡上一円に勢力を張っていた東氏は、常に北方からの侵略に気を配っていたが城主東胤行の孫・益之は15世紀半ば、北方えの備えとして、二日町金剛寺山に城を築こうと着工した。
金剛寺山は北側は絶壁で石垣を着ずことは容易ではなく、挫折の阿末益之は「人柱」を決意し、これによってようやく城は完成された。この人柱が何人であったかは不明であるが、その人柱の霊を弔って二本の桧が植えられた。
この霊木は桧の特性を破って、下から八方に無数の枝を張り広げている。
古老は伝えて「人柱の桧」といい、この木を損なう者はたちどころに全身がしびれ病気になると云われ、今だにこの木に斧を入れたり、手に触れる人はいないという。
【城郭の歴史】
築城者,築城年代ともに明らかではないが、東氏の支城、北方の鷹見氏に備えて築城されたものと考えられている。
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