| 鮎崎(あいざき)城 |
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| 【城郭の概要】 所在地:高山市大新町4丁目 別 名 : − 築 城 : − 初城主:鮎先新兵衛尉 区 分 :平山城 遺 構 :曲輪,土塁 城 域 : − |
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【現地への案内】 高山市内、桜山八幡宮から高山観光ホテルを目当てに、北山公園 詳細位置はコチラ ![]() 【駐車場】路上駐車 【訪 城】2005年6月 【撮 影】2005年6月
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【現地の状況】 鮎崎城は、高山市内にあって比高50〜60mの舌状尾根の先端に位置し、尾根の西側を流れる宮川と、東側を流れる大八賀川が、舌状尾根の先端部で合流する地形にあって、三方を川で囲まれた要害地形を利用して築城されている。 現在は北山公園として整備され、公園の南には高山観光ホテルが建ち、車で公園の入り口まで登ることができるが、道路がつけられている南側以外の三方は川で囲まれ、斜面は急峻で、南側からしか登ることはできない。 南側は高山観光ホテルの駐車場辺りにも斜面に曲輪が確認できるが、それ以降どこまで城域としていたのかはっきりしない。しかし、南北200〜300mの城域であることは間違いない。
現在墓地として使われている辺りが主曲輪であろうと考えられ、墓地の周囲には低土塁が確認できる。主尾根から派生する支尾根には階段状に小曲輪を築き、切岸防御を主体としている。 なお、西方は高山市街が広がり、その向こうには三木氏の居城・松倉城を望むことができ、その距離は約4km。 この鮎崎城は、北方の越前から南下してきた金森長近が、天正13年に松倉城を攻めるに際して陣を構えたということであるが、松倉城との距離、あるいは松倉城との間に宮川、苔川という川を挟んで陣を構えていることから、金森長近は三木氏最後の砦・松倉城を落とすのに、苦戦していたのではないかと云う気がした。(^^) 【城郭の歴史】 天正13年7月、豊臣秀吉は越中の佐々成政討伐の折、飛騨の三木氏を討つため越前大野城主であった金森長近に飛騨の攻略を命じた。金森軍は長近と可重の二隊に分かれて進行し、同年8月には三木氏の本城である松倉城を落として飛騨を制圧し、翌天正14年に飛騨国の領主となった。 この北山公園は金森が三木の松倉城を攻めた際、ここに本陣を構えた。「斐太後風土記」(富田礼彦)によると金森布陣前に鮎先新兵衛尉という城主がいたと記される。戦国時代の城郭分布位置から見ても、松倉、中山、冬頭、三枝、三仏寺、鍋山の諸城を見渡せる好所である。 山上平地は二段構えとなり、東側の軍人墓地周辺が高く、水門平の標識がある西側のこの場所が一段低い、周辺には帯状の平地「帯曲輪」と推定される場所が各所に見られる。 城の名称は鮎崎城、「合崎」の地名をとって合崎とも呼称氏、現在は北山公園としての憩いの場となっている。
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