所在地:越前市府中2丁目
別 名 : −
築 城 :南北朝期
初城主:斯波高経
区 分 :平城
遺 構 :土塁
城 域 : −
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JR武生駅の西約300m
詳細位置はコチラ
正覚寺の駐車場を利応、約30台
【訪 城】2007年3月
【撮 影】2007年3月
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| 評価項目 |
見所評価 |
| 選地 |
★☆☆ |
| 縄張り |
★☆☆ |
| 普請 |
★☆☆ |
| 体力消耗度 |
★☆☆ |
| お勧め度 |
★★☆ |
★が多い方がお勧め (三段階評価)
体力消耗度
★:山道はほとんどなし
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り |

JR武生駅の西側には国分寺の跡を初めとして多くの寺院が甍を連ねている。その中でもひときわ広い敷地を持つのが新善光寺城の跡に建てられた正覚寺である。
正覚寺の山門は府中城の表門を移築したもので重量感と共に趣がある。境内には新善光寺城の土塁が残っている。
南北朝の動乱期、越前国守護斯波高経は新善光寺跡に新善光寺城を築城し南朝方に備えた。延元元年(1336)南朝方の杣山城主瓜生生保の軍勢により落城したが、すぐに奪回した。さらに延元3年、金ヶ崎城の落城で杣山城に逃れていた新田義貞等は勢いを取り戻し高経の軍勢と日野川で激戦を交えたこの戦いで府中の町は焼け、高経は敗走し、新善光寺城は義貞の手に落ちた。
義貞が新田塚で戦死後、南朝方の勢力は衰え義貞の弟・脇屋義助は美濃へ敗走。
貞治5年(1366)浄土宗の良如により、新善光寺城跡に正覚寺が創建され現在に至っている。境内北部の駐車場に沿って東西と西部に土塁が残っているのみであるが、正徳元年(1711)の府中図によれば城域は東西90間、南北76間で、土塁の外に堀が巡らされていた。
境内の墓地には初代領主本多富正の養子・福井初代藩主結城秀康の四男・吉松丸の墓がある。
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