所在地:勝山市遅羽町ほう崎
別 名 : −
築 城 : −
初城主:島田将監
区 分 :平山城
遺 構 :堀切
城 域 : −
標高 183m
比高 30〜40m
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路上駐車
【訪 城】2004年8月
【撮 影】2004年8月
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| 評価項目 |
見所評価 |
| 選地 |
★☆☆ |
| 縄張り |
★★☆ |
| 普請 |
★☆☆ |
| 体力消耗度 |
★★☆ |
| お勧め度 |
★★☆ |
★が多い方がお勧め (三段階評価)
体力消耗度
★:山道はほとんどなし
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り |

三室山城は九頭竜川の西岸、三室山(標高183m)の山頂付近に築かれ、麓の春日神社からは5分足らずで山頂に出る。
三室山城は山頂の主曲輪と北側の二の曲輪からなり、主曲輪南側に堀切を設けている。主曲輪と二の曲輪との比高差は7〜8m。二の曲輪は削平状態も極めて良く、この城が長期間使われたことを推測させる。
二の曲輪の背後(北側)には尾根が続くが、尾根側に防御施設は確認できなかった。
この三室山一帯は県指定の縄文集落遺跡で、北陸地方には珍しい縄文後期の配石遺構が発掘され注目を集めている。
天正元年(1573)小谷城の攻防の際、織田軍との戦いに敗れた朝倉軍は越前へ敗走。
朝倉氏の居城・一乗谷城は、敗走する朝倉軍を追撃して越前に攻め込んだ織田軍に呼応するように、朝倉氏を見限った平泉寺宗徒に攻められ落城。
朝倉氏家臣・島田将監は三室山城を築き(城跡考)、村岡山城,堀名の壇ヶ城の一向一揆勢と共に平泉寺と対立。翌天正2年(1574)4月、平泉寺を攻め滅ぼした。
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