所在地:坂井市丸岡町霞
別 名 :霞ヶ城
築 城 :天正4年(1576)
初城主:柴田勝豊
区 分 :平山城
遺 構 :天守閣,石垣
城 域 : −
比高 20m
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坂井市市内
詳細位置はコチラ

無料駐車場を利用 約100台駐車可
【訪 城】2004年8月
【撮 影】2004年8月
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| 評価項目 |
見所評価 |
| 選地 |
★★☆ |
| 縄張り |
★★☆ |
| 普請 |
★★☆ |
| 体力消耗度 |
★★☆ |
| お勧め度 |
★★☆ |
★が多い方がお勧め (三段階評価)
体力消耗度
★:山道はほとんどなし
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り |

丸岡城は“まるこの岡”と称される比高20mほどの小さな丘の上に建てられており、天守閣はニ層三階建で日本最古の天守閣として趣がある。遺構は、天守台以外には本丸に一部の石垣が残すだけと寂しい限りである。
天守閣石垣のそばには、日本一短い手紙として知られる徳川家康譜代第一の功臣・鬼作左の本多作左衛門が家族にあてた手紙「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」の碑がある。
本多作左衛門は、関ヶ原の戦い後に丸岡城主となった本多成重の父であり、徳川家康が本多作左衛門の働きに報いて、本多成重を丸岡藩主として4万石を与えたものである。
信長は平定なった越前8郡を柴田勝家に、大野郡を金森長近と原政茂に与え、柴田勝家には北庄城を築かせて越前の経営を任せた。
越前の領主となった勝家は甥・伊賀守勝豊に命じて豊原寺の跡に豊原城を築かせたが、天正4年柴田勝豊は豊原城を廃して、居城を丸岡に移し城を築いた。これが現在の丸岡城である。
天正11年(1583)、賤ヶ岳の戦いで柴田勝家が羽柴秀吉に破れた後、丸岡城には安井左近家清、青山修理亮、今村盛次等が入り、その後、本多成重以下4代の居城となり、元禄8年5月有馬清純が入封してからは明治維新に至るまで、8代にわたって有馬家の居城となった。
昭和9年1月30日、丸岡城は国宝に指定されたが、昭和23年6月28日の福井大地震により倒壊。昭和25年8月29日国の重要文化財に指定され、昭和30年3月に復原された。
復原されたことで国宝から重要文化財となったが、丸岡城の天守閣は現存する天守の中では日本最古のものである。また、屋根瓦は笏谷石で造られた石瓦をのせていることでも知られている。
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丸岡城天守閣の瓦は笏谷石で造られた石瓦であるが、笏谷石は福井市の足羽山の地中から切り出される火山礫凝灰岩で、淡い緑色をしている。きめ細かく、加工しやすいのが特徴で、石棺や石仏,石塔,狛犬、あるいは建造物の一部いろいろなものに使われている。
天正4年に信長が築城した安土城の天守台の階段にも使われており、越前を平定した柴田勝家が安土城の築城を祝って送ったのではないかと考えられている。

昭和15〜17年の修理の際、当時は銅板の入手が困難であったため、天守閣の鯱は瓦と同じ笏谷石で造られた。現在は築城当時の木製銅板張りの鯱が乗せられている。 |
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観 光
■称念寺
坂井市丸岡町長崎19-17
境内には、1338年(延元3)に燈明寺畷(とうみょうじなわて)で戦死した新田義貞の五輪塔がある。
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