| 所在地:三方上中郡若狭町熊川 |
| 別 名 : − |
| 築 城 :永禄年間(1558〜70) |
| 初城主:沼田余七郎弥七郎統廉か |
| 区 分 :山城 |
| 遺 構 :曲輪,堀切 |
城域 :170m×50m
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| 標高 185m |
| 比高 約100m |

国道303号線、若狭熊川宿、白石神社の背後
詳細位置はコチラ 
熊川宿の松木神社近くの駐車場を利用
【訪 城】2008年5月
【撮 影】2008年5月
| 評価項目 |
見所評価 |
| 選地 |
★★☆ |
| 縄張り |
★★☆ |
| 普請 |
★★★ |
| 体力消耗度 |
★★☆ |
| お勧め度 |
★★☆ |
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★が多い方がお勧め (三段階評価)
体力消耗度
★:山道はほとんどなし
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り
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熊川城は若狭と近江を結ぶ若狭街道の熊川宿を猊下する山の中腹(標高180m付近)付近に築かれ、尾根が西と北に分かれる小ピークに主曲輪をおき、熊川宿へ延びる東尾根に階段状の曲輪を連郭式に配した山城である。
熊川宿のほぼ中央の白石神社の本殿横から九十九折りに急斜面を登る。斜面につけられた道は獣道に毛が生えた程度で、足場がスリップすると谷底まで落ちる危険極まりない。
一応、安全用のロープは渡してあるが、このロープとて、滑落した時に体重を支えられるかどうか心許ない。
主曲輪の西側には櫓台状の高台があり、主曲輪の背後の東尾根には2条、西尾根には3条の堀切が入っているが、規模も小さく効果的とは言い難い。
山自体が風化したような小石混じりの土質であるため、経年により浅くなってしまったのであろうか。
印象としては、山の峻険さを頼りに築いた中世山城という印象が強い。麓の得法寺には熊川城主である沼田氏の供養塔と伝えられる墓塔がある。
なお、細川藤孝(後の幽斎)の妻は熊川城主・沼田氏の娘といわれる。
城主の沼田氏は観応2年(1351)に足利尊氏から瓜生庄下司職を賜り、居館を城の北側の山裾に構えたと伝えられている。
永禄12年武田氏の被官松宮玄蕃允に攻められ、沼田一族は近江に逃れた。永禄12年以降は新領主の松宮氏が使っていたらしく、元亀元年(1570)織田信長が越前朝倉攻めの途中に一夜を過ごしている。
その後、天正12年(1584)には丹羽長秀によって破却されたと考えられている。
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