所在地:福井市大手3丁目
別 名 :北庄城
築 城 :慶長6年(1601)
初城主:結城秀康
区 分 :平城
遺 構 :石垣,堀,井戸
城 域 :1750m×1950m
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JR福井駅の北東、約500m
詳細位置はコチラ

県庁の駐車所を利用
【訪 城】2001年
【撮 影】2001年
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| 評価項目 |
見所評価 |
| 選地 |
★☆☆ |
| 縄張り |
★☆☆ |
| 普請 |
★★☆ |
| 体力消耗度 |
★☆☆ |
| お勧め度 |
★★☆ |
★が多い方がお勧め (三段階評価)
体力消耗度
★:山道はほとんどなし
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り |

福井城は市内のほぼ中央部にあり、現在では本丸内に県庁舎が建てられ、本丸石垣と本丸周囲に堀が残されている。
石垣はこの地方特有の凝灰岩(勺谷石)を用いて、切り込みハギで積まれている。また石垣裾からは石瓦が多く出土しており、建物は石瓦葺きであったと考えられている。
慶長5年、関ヶ原に勝利した徳川家康は12月、越前13郡68万石の領主として二男結城秀康を封じた。秀康は翌6年9月、北庄城を居城と定めて改築を開始した。
清水丹後守好正を普請奉行とし、本丸と二の丸は徳川家康自らが縄張りをし三の丸その他は吉田修理好寛が縄張りをしたと伝える。
この福井城は四重、五重の堀を巡らす大工事で、諸国の大名は御手伝いを出したといわれ、6年の歳月をかけ、同11年に落成をみた。その後も外郭をはじめとする改修等が進められたが、翌12年に秀康が逝去し、城下を総郭とする計画は、加賀口付近が完成したのみで未完に終わった。
この福井城も、万治2年(1659)4月、寛文9年4月と二度の大火にみまわれ、特に寛文9年4月15日、城下氷雲寺門前より出火した大火は、城下の大半を焼くと共に、天守をはじめとする城櫓等のほとんどを焼いた。藩は幕府より五万両の拝借金を得、ただちに再建に着手したが、天守は再建されなかった。存続した種々の建物も、版籍奉還以後、次々と取り壊され、松平氏17代の居城も現在はその姿をとどめていない。
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