| 宇利城 |
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| 【城郭の概要】 所在地:新城市中宇利字仁田 別 名 : − 築 城 :文明年間(1468〜1487) 初城主:熊谷重実 区 分 :山城 遺 構 :石垣,土塁,堀,堀切,井戸 城 域 :150m×90m 標高 160m 県指定史跡 |
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【現地への案内】 国道301号線富岡信号を東、中宇利信号北へ約700m 詳細位置はコチラ ![]() 【駐車場】路上駐車 【訪 城】2001年7月 【撮 影】2001年7月
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【現地の状況】 宇利城へは看板が立っており、これが目印になるが、周囲は農道だけで駐車場はない。農道に一部駐車スペースがある程度。 案内板に従って南斜面から山道を約10分登ると宇利城址碑のある山頂に出る。この間山道は苔むして非常に滑りやすく、耐スリップ性の靴は必須。 主曲輪を中心に東西の尾根に曲輪が配置されている。東側尾根の曲輪の一部と、主曲輪から延びる南西側尾根に石積みが見られる.。また、主曲輪の東の曲輪、二の曲輪とも呼ぶべき曲輪(姫屋敷)には、土塁も認められる。
車を置いた西側の谷一帯は「まさき屋敷」との呼び名が残っており、屋敷跡であったこと窺える。 【城郭の歴史】 享禄3年(1530)11月4日、松平清康は三千余りの軍勢を率いて、東三河をめざし岡崎を出発した。東三河は今川の勢力範囲であったが、氏輝の代になるとその力も失われていた。 清康はこの機に東三河を手に入れようとした。吉田,田原,牛久保,作手,田峯,野田,西郷,伊那,設楽などの城主は清康に従ったが、宇利城主熊谷実長はなかなか従わないので、宇利城へ向けて攻撃が始まった。 野田城・城主菅沼定則を案内として東上(一宮町)で豊川を渡り、八名井の今水寺で休息し、宇利に向かった。城の大手には松平右京亮親盛(清康の叔父)、松平内膳正信定(親盛の弟)が、搦手には清康の旗本が攻撃にあたり、作手の奥平貞勝が先導した。この戦いで城方370余命、松平方90名が死傷し、大手の激戦では松平右京亮が討ち死にした。 宇利城は三方を山に囲まれた天然の要害で清康は苦戦したが城内の松平方に通じた岩瀬庄右衛門城に火をつけたので、城主実長は裏山伝いに落ちのびっていった。
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