
【現地への案内】
国道257号線から田峯観音を目当てに西に入る
詳細位置はコチラ 
【駐車場】専用駐車場あり
【訪 城】2003年5月
【撮 影】2003年5月

| 評価項目 |
見所評価(三段階評価) |
| 選地 |
★★☆ |
| 縄張り |
★★☆ |
| 普請 |
★★☆ |
| 体力消耗度 |
★☆☆ |
| お勧め度 |
★★☆ |
★が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
|
【現地の状況】
田峯城は田峯台地東端に位置し、東を大手とし、大手側は豊川が形成する渓谷に落ち込む要害地形であり、豊川沿いに通る飯田街道(国道257号線)を眼下におく。
国道257号線から搦手側に廻り、城址横まで乗り入れることができる。城址駐車場に着くと、山上に物見櫓と大きな建物(御殿)が建っているのに、一瞬驚かされる。
空掘に掛けられた橋を渡って城内に入る、各曲輪には表示があり非常に分かりやすい。曲輪周囲には丸太で柵を組み、中世山城の雰囲気が演出されている。従って切岸や空堀を自由に歩き回ることが出来ない。常々、城は下から観るものとの考えをもっている私にとっては、何とも消化不良気味である。
搦手側の切岸
 |
山頂の主曲輪周囲にも柵が巡らされ、大手側にさえ降りることができない。(^^;
山上防御策の中から大手道の曲輪群を眺めるだけで、ひとまず良しとする。
山城斜面を自由気ままに歩き慣れた者にとっては、退屈な城の印象が拭い切れない。もっと自然な形での保存をしてほしいと感じた。おまけに入場料として200円也を徴収された。
ちなみに、 「歴史の里 田峯城」の休城日は毎週月曜日、祝日の翌日、年末年始である。(^^)
【城郭の歴史】
田峯城は県下有数の高山である段戸連峰を間近に控え、寒挟川の渓流をはるかに見下ろす標高387mの独立丘陵にある山城です。本丸から見下ろした寒挟川の蛇行と城を頂く山並みが、まさに大蛇のようであることから田峯城は別称「蛇頭城」(じゃずがじょう)、「竜の城」とも呼ばれていました。
田峯城は文明2年(1470)菅沼定信によって築かれ、定信→定忠→定広→定継→定忠と、代々田峯宗家菅沼氏の居城とされました。
当時は下克上の時代、今川氏をはじめ武田氏,織田氏,徳川氏などの強大な戦国大名が台頭する中、この奥三河では作手の奥平氏、長篠菅沼氏、そして田峯の菅沼三氏が「山家三方衆」として結束していました。しかし、その団結も時によっては崩れ、婚姻関係でありながらも骨肉相食む戦いを繰り広げることになります。
五代目城主定忠は武田方に従い、家老城所道寿とともに長篠合戦に出陣しますが、武田方大敗の報を受けた留守居の将・叔父定直と家老今泉道善らの謀反にあい田峯城に入城できずに武田勝頼とともに信州に敗走することを余儀なくされます。
復讐を誓った定忠は、翌年天正4年(1576)7月14日田峯城に夜襲をかけ、謀反の一族老若男女96名を惨殺、首謀者の今泉道善を鋸引きの刑に処しました。定忠は天正10年(1582)飯田知久平にて討たれ、その後田峯宗家菅沼氏は断絶しました。
|