
【現地への案内】
国道259号線、田原市役所から北西に1km、巴江神社
詳細位置はコチラ 
【駐車場】民俗資料館の駐車場を利用、専用駐車場もあり
【訪 城】2005年5月
【撮 影】2005年5月

| 評価項目 |
見所評価(三段階評価) |
| 選地 |
★☆☆ |
| 縄張り |
★★☆ |
| 普請 |
★★☆ |
| 体力消耗度 |
★☆☆ |
| お勧め度 |
★★☆ |
★が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
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【現地の状況】
民俗資料館前には袖池が広がり、橋を渡り桜門より入城する。桜門をくぐると右手に三の丸、左手に二の丸が配置され、二の丸には二層の二の丸櫓が建てられている。三の丸は護国神社(?)、二の丸は田原市博物館と、しっかり利用されている。(^^)
往時の田原城縄張り
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本丸は巴江神社が建ち、周囲には高さ2m〜3mの土塁が残る。本丸と二の丸,三の丸の間には空掘が残り、中世城郭の名残をとどめている。
巴江神社の周囲には堀があったとされるが、駐車場や道路となり、想像することすら出来ない。
【城郭の歴史】
田原城は文明12年頃、戸田宗光が渥美半島統一の拠点として築城し、以来70年にわたって栄えたが、今川義元によって攻略され落城した。その後、城主は交代し、慶長6年から戸田尊次が一万石で、寛文4年には一万二千石で三宅康勝が入城し、三宅氏の居城として栄え明治維新を迎えた。
田原城はかって海が周囲に入り込み入江を形成していたためか、その状況が巴文に似ていることから、巴江城(はこうじょう)とも呼ばれている。中世に築かれた城を利用しているため地形、規模などの制約を受けているが、藤田曲輪・本丸・二の丸・三の丸・出曲輪、および付属する腰曲輪の周囲を堀によって区画するなど随所に工夫が見られ、さらに二の丸櫓,桜門周辺は石垣,水堀を配するなど様々な工夫を凝らし、小さいながらも近世の城郭に相応しい構成を取り入れている。まら空掘,土塁など随所に中世城館の遺構を残す貴重な城である。
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