名古屋城
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【城郭の概要】
所在地:名古屋市中区本丸
別 名 :蓬左城,楊柳城,柳ヶ城,亀尾城,鶴ヶ城,金城
築 城 :慶長15年(1610)
初城主:徳川家康
区 分 :平城
遺 構 :本丸,二の丸,西の丸,深井丸,石垣,櫓三,門一,堀,土塁
城 域 : −




名古屋城天守閣
復興された天守閣

【現地への案内】
今更、書く必要もないでしょう。(^^)
細位置はコチラ 

【駐車場専用駐車場
【訪 城】2002年5月,2003年12月
【撮 影】2002年5月


評価項目 見所評価(三段階評価)
選地 ★★
縄張り ★★
普請 ★★★
体力消耗度 ★★
お勧め度 ★★
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
【現地の状況】
 名古屋城は名古屋台地の北端に位置し、北には庄内川が流れ、城の北側は沼地であったという。
現在も国道19号線の三の丸交差点付近は名古屋城本丸に向かっては20〜30mほどの比高差があり、名古屋城の建っているところが台地であることがよく分かる。また、名古屋城の北の名城公園に行くと、名古屋城を見上げる形になり台地が北側で落ち込んでいるのが確認できる。

【城郭の歴史】
 名古屋城は関ヶ原の戦い後、大阪城の封鎖、および豊臣方の東上を防ぐために、丹波篠山城,彦根城伊賀上野城とともに東海道の要衝の地である尾張に築かれた。
名古屋城の建てられた場所は、元々今川氏親が築城した那古野城跡であり、この那古野城は現在の二の丸庭園となっている。なお、築城に際しては全国の大名たちに命じ、2,3年で完成したとされる。
 天守閣は昭和25年5月14日に繊細で本丸御殿と共に焼失したが、昭和34年秋に小天守と共に鉄筋コンクリート造りとして再建された。
西南隅櫓
西南隅櫓(重要文化財)

【那古野城について】
 大永(1521から1528)の初め、今川氏親が名古屋台地西北端に築いたもので、一名「柳の丸」と云った。氏親は一族の氏豊を城主として守らせていたが、天文元年(1532)織田信秀のために城を奪われた。
その後織田信秀が居城し、天文3年信長はここで生まれたと云われる。同年、信秀は古渡城に、また弘治元年(1555)信長も清須城に移り、一族の信光が居城したが、やがて廃城となった。慶長15年(1610)名古屋城築城の際、二の丸の一部となった。
名古屋市教育委員会

 なお、信長誕生の地は勝幡城で生まれてから那古野城へ移ったという説もあり、定かではない。

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