
【現地への案内】
小原村役場から東へ約1km
細位置はコチラ 
【駐車場】専用駐車場を利用
【訪 城】2002年3月
【撮 影】2002年3月

| 評価項目 |
評価(三段階評価) |
| 選地 |
★★☆ |
| 縄張り |
★★☆ |
| 普請 |
★★☆ |
| 体力消耗度 |
★★☆ |
| お勧め度 |
★★☆ |
★が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい) |
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【現地の状況】
市場城は市場地区の南東、小原村と旭町を繋ぐ峠に山頂付近に築かれており、城下まで車で乗り付けらる。
城域は状態良く整備されており、枡形門跡,畝状竪堀、および櫓台の石垣など中世城郭と近世城郭のふたつの雰囲気を楽しむことができる。
【城郭の歴史】
市場城は昔は小原谷大草城と云い、標高380mの山頂にある室町時代の山城である。小原村には当時の山城が11あり、その中でも市場所は主城の役割を担っていた。
旧記によると、室町時代が始まる応永年間(1394〜1482)は足助重春の一族が小原谷市場古城に居城しており、長禄3年(1459)には鱸藤五郎親信が足助の鈴木小次郎忠親から小原村を与えられ領有していた。
その後、文亀2年(1502)に鱸藤五郎親信が今の市場城を築いてから、第2代肥後守長重、第3代伊賀守直重、第4代越中守重愛までの88年間、市場城は鱸氏4代の居城であった。
第4代重愛は徳川家康の下で大功をたて、天正11年(1583)に領地を加増され、石垣を積み曲輪を構えるなど城郭の大改修を行って堅城としたが、重愛は天正18年(1590)何らかの理由で改易となり市場城を出城させられ、文禄元年(1592)廃城となった。
山頂がいわゆる本丸跡で、その南側には石垣が積まれ、西側には二の丸がある。また帯曲輪が二重、三重に巡らされており、「竪堀群」や「枡形門」、「家老屋敷跡」といわれる「さんざ畑」が現存している。
江戸時代の浅野文庫「諸国古城之図」にも、この市場城が掲載されており、中世の城郭史上貴重なものである。
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