| 一色城 |
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| 【城郭の概要】 所在地:豊川市牛久保町岸組 別 名 : − 築 城 :文明年間 初城主:一色氏 区 分 :平城 遺 構 :土塁 城 域 :75m×75m |
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【現地への案内】 国道150号線、城下の信号を北に入り、JR飯田線牛久保駅から約500m北東 細位置はコチラ ![]() 【駐車場】なし 【訪 城】2003年4月 【撮 影】2003年4月
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【現地の状況】 一色城の位置は特定されていないが、一説には大聖寺の周辺であるという。 大聖寺には今川義元の墓があるが、この墓の背後には土塁が残り、一色城城址というのも頷ける。 また、義元の墓の隣には一色刑部少輔時家の墓も建つ。 【今川義元公の墓について】 戦国時代の駿河・遠江・三河の領主今川義元は永禄3年(1560)5月19日、尾張桶狭間の合戦で織田信長の奇襲にあって討ち死にしました。そのとき、首を取られた義元の胴体を家臣が背負って当地まで逃れ、この寺に葬って、とりあえず石の手水鉢をのせ墓石の代わりにしました。それが「義元の胴塚」といわれる由来です。 嫡子上総介氏真は永禄6年(1563)父義元の三回忌をこの寺で営み、父の位牌所として寺領を安堵しました。そのとき、墓は整備され、毎年義元の命日には地元の人々によって慰霊祭が行われています。
【城郭の歴史】 文明年間に一色時家によって築かれる。文明9年時家は豪臣波多野全慶に殺され、16年後には全慶もまた牧野古伯に討たれ城主は牧野氏となる。 永正2年古伯吉田城を築いて豊橋へ出て次男成勝を瀬木城より呼んで城主とした。その後、牛窪城と発展し、城下の屋敷の一つとなる。 |
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