
【現地への案内】
国道23号線浜田橋の北、約600〜700m
詳細位置はコチラ 
【駐車場】専用駐車場に10台ほど駐車可
【訪 城】2005年5月
【撮 影】2005年5月

| 評価項目 |
見所評価(三段階評価) |
| 選地 |
★★☆ |
| 縄張り |
★☆☆ |
| 普請 |
★★☆ |
| 体力消耗度 |
★☆☆ |
| お勧め度 |
★★☆ |
★が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
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【現地の状況】
伊奈川の左岸、田圃の真ん中に浮島のようにこんもりとした林が遠目からでも確認出来る。
一帯は、伊奈川の土手から比べても相当低く、当時は伊奈川、若しくは東を流れる豊川用水路等が、この辺り一帯を縦横に走っていたのであろう。近くに
“深田” という字名があることからも、湿地帯であったことは容易に想像がつく。
城域に入って目を引くのが北側に巡らされた土塁である。この土塁は5〜6mはあろうかという高さで圧巻である。また土塁の立ち上がり勾配も急傾斜で見事である。土塁の背後に回ると高さ2mほどの石垣上に土盛りをされた“腰巻き石垣”
となっている。石垣の横を流れる川は堀の一部だろうか。また、曲輪周囲には高さ1mほどの石垣が巡らされている。
土塁背後の石垣
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南東隅には整備工事に伴って櫓が建てられているが、当時の遺構をしっかりと残した上に整備がなされ、好ましい保存がなされている。
【城郭の歴史】
15世紀の中頃、本多忠俊・定助の築城で、上嶋城ともいわれていた。
天正18年(1590)本多康俊が下総国(千葉)小篠へ移封されるまでの百数十年間、伊奈本多氏の居城であった。 伊奈城主の菩提寺東漸寺に伝わる古図によると三方を河川を沼地に囲まれた要害堅固な地に加えて城下まで舟運の便の良い地であった。
永禄年間に大塚城主岩瀬氏に攻められたが、時の城主本多忠俊は兵を柳堤に出して防ぎ、御馬・梅藪に出て戦いこれを退けた。伊奈城の攻防はこの一戦だけである。
下総国小篠へ移封後は廃城となり、それ以来400年余りを経た現在も土塁の一部と本丸の曲輪跡が残っている。特に土塁は室町時代の地方の平城跡を今に伝える数少ない貴重な遺構である。
伊奈本多氏は遠州今川氏と三河松平氏の境に位置し、ある時は今川方にまたある時は松平方に従い、戦国時代を生き抜いてきた。
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