| 羽栗城 |
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| 【城郭の概要】 所在地:岡崎市羽栗町字城山 別 名 :山中城 築 城 :戦国時代初期 初城主:西郷弾正左衛門尉 区 分 :山城 遺 構 :土塁,堀切,竪堀,土橋 城 域 :400m×200m 標高 196m 比高 100m |
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【現地への案内】 国道1号線、山中北小学校の信号を西に入り、700m〜800m走ると右手に見える。 細位置はコチラ ![]() 【駐車場】空地を利用 【訪 城】2001年8月 【撮 影】2001年8月
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【現地の状況】 国道1号線、山中北小学校の信号を西に入り、700m〜800m走ると右手に見える山に葉栗城は位置しているが、進行方向側には標識はない。反対車線からのみ見える小さな標識が目印となる。(^^; 墓地の裏から約10分ほど登ると左手に堀切が現れ、ここからが城域となる。 標高約200mの山頂付近を中心として、北側に派生する三つの支尾根城に曲輪を配した連郭式の山城で、最頂部の曲輪を主曲輪とし、その北西側に連続する曲輪を二の曲輪として、ここから北に延びる支尾根の防御拠点としている。 また、主曲輪の北東にある曲輪周囲には土塁を巡らし、虎口形態も複雑で、主曲輪よりも後年の改修の跡を感じられる、徳川による改修か。 城域は広く、各尾根筋や斜面に掘られた10本を越える堀切や竪堀が見所である。 【城郭の歴史】 岡崎城主西郷(松平)信貞の居城であったが、大永4年(1524)安祥城に居城した松平清康の奇襲を受け、一夜にして落城した。その結果、信貞は清康に属し、岡崎城を明け渡すこととなった。その結果、駿河今川義元の西三河進出、徳川家康の東三河進出の拠点となった。 この城跡は標高196mの山頂の主郭を中心として、東,北東,北西に延びる尾根筋に曲輪を重ねた連郭式の構造で、東西400m、南北200mという県下最大級の規模を持つ山城である。この地方に現在残されている山城の中でも、その遺構を良くとどめており、貴重な史跡である。
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