| 大通寺陣城 |
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| 【城郭の概要】 所在地:新城市長篠(旧鳳来町長篠) 別 名 : − 築 城 :天正3年(1575) 初城主:馬場美濃守信房 区 分 :陣城 遺 構 :曲輪 |
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【現地への案内】 国道151線、長篠城址の交差点の北 細位置はコチラ ![]() 【駐車場】駐車場に5台ほど駐車可 【訪 城】2005年10月 【撮 影】2003年10月
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【現地の状況】 大通寺山あるいは大通寺の雑木と長篠城の木々のため見通しは利かないが、長篠城の巴城郭(現在の駐車場)は目の前で、長篠城攻略における武田軍の最前線である。 5月20日設楽原にへの出陣に際し、馬場美濃守信春(信房)・武田信豊・小山田昌行がここに集い、水杯で訣別しととされる井戸がある。 なお、この大通寺から南東の方角には鳶ヶ巣山砦が位置している。
【城郭の歴史】 天正3年(1575)5月8日武田勝頼が長篠城を包囲した際、自らは医王寺山に陣を構え、この大通寺には馬場美濃守信春(信房)を配した。 5月19日、勝頼は諸将士を集め、織田・徳川軍を攻撃する意向を示した。この勝頼の考えに馬場美信春,内藤昌景,内藤昌豊,小山田信茂,原胤正等は反対したが、勝頼は武田家の家宝である御旗と楯無の鎧を出し決意を示したため、馬場信春以下家臣達は従う他無かった。 翌20日勝頼は寒狭川を渡り設楽原に軍を進め、21日未明徳川軍の酒井忠次による鳶ヶ巣山砦の攻撃を合図に設楽原の連吾川を挟んで武田軍と織田・徳川連合軍の戦いが始まった。 |
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