
【現地への案内】
国道301号線から県道360号に入り200m先の脇道を左に入り、約1km先の歌碑公園
詳細位置はコチラ
左メニュー付き
【駐車場】専用駐車場を利用、約100台
【訪 城】2003年4月
【撮 影】2003年4月

| 評価項目 |
見所評価(三段階評価) |
| 選地 |
★☆☆ |
| 縄張り |
★☆☆ |
| 普請 |
★★☆ |
| 体力消耗度 |
★★☆ |
| お勧め度 |
★★☆ |
★が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
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【現地の状況】
大田城の位置は少々分かりづらい、とりあえず歌碑公園を探すと良い。
この歌碑公園の東にある山の山頂付近に築かれており、歌碑公園の駐車場から延びる林道脇の山道から登ると10分足らずで山頂に出る。ここから松平郷への案内板に沿って尾根を下ると、途中の巨石を経て数分で山道の脇に堀切が確認できる。
この堀切から城域となり、約100mの間に二つの曲輪と3条の堀切が確認できるが藪が密集しており難儀する。堀切を経て山頂の曲輪に出るが、山頂は思いの外広く(約100m×50m)、取り留めがない。ほぼ中央部に2本の横堀で守られた一帯が主曲輪と考えられる。しかし、この横堀の深さは50cm足らずと浅い。
主曲輪から北に延びる尾根を下ると、規模の大きな横堀・土橋に出る。深さは2〜3mに達し、さらに2カ所の空堀が確認できる。
主曲輪の横堀と、北尾根の横堀を見比べると、後年にこの城が改修されたことは明らかである。
元亀2年(1571)から天正元年(1573)にかけて甲斐・武田軍が侵攻、三河足助町まで南下した際、軍事的な緊張の中で改修されたものと考えられる。なお、城域の最東端の曲輪に石積みがあるというが確認できなかった。
【城郭の歴史】
能見松平氏の祖、松平光親在城かという以外、不明
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