この地にある宝篋印塔は、寛文12年(1672年)甲斐国塩山の乾徳山恵林寺で、信玄公100年の法要が営まれた際に、五輪塔と宝篋印塔を修造されたが、その折り、武田家縁の人々によって、信玄終焉の地・横旗に宝篋印塔が建立されたと伝えられている。 しかし、現地案内板には、塔の型式などから室町時代末期のものとされおり、寛文12年、つまり江戸期のものではないとしている。さてさて、なにが真実なのか訳が分かりません。(^^)
寛文年間(1661〜1673)の頃、信玄公100年目の遠忌に際し供養のため、この宝篋印塔を建立した。下って宝暦(1751〜1764)の頃、横旗・中野・砦の三部落の人々によって武田神社として祀られた。 この宝篋印塔は昭和28年池上年氏の鑑定により、室町時代末期の型式を備え、城主、大名級のものであるとされている。 根羽村教育委員会
【所在地】長野県下伊那郡根羽村横旗 詳細はコチラ ![]() 【訪問日】2003年5月2日 【現地を訪れて】 この根羽村の宝篋印塔が本当に武田信玄のものかどうかは、現地を訪れた人が、信玄のものと信ずれば、それでよいわけで、今更分かるわけでもない真贋論争をしても始まりません。 えー、私? 眉に唾を塗りながら、半信半疑で手を合わせてきましたが、所詮は供養塔です。建てる気があれば今からでも、三方が原にでも、野田城址にも建てられます。(^^) まぁ〜、信玄ファンの方は、機会があれば一度は訪ねてみるのもよいかと思います。 |
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