南北朝時代の初期に武田氏中興の祖と云われる甲斐国守護武田信武が開基となり、月舟周勲がその師である夢窓国師を開山に迎えて建てたのが法泉禅寺です。信武の死後はその菩提寺となりました。
武田信玄は先祖縁の法泉寺を甲府五山のひとつに加え、手厚く保護を与えて境内の整備を行いました。
勝頼とその子信勝は天目山で自害し、その首は京都に送られて四条河原にさらされました。
武田家より厚い帰依を受けていた京都妙心寺の南化和尚は、この首を貰い受けて、同寺にある信玄の墓の脇に手厚く埋葬しました。この時法泉寺の僧が同席しており、勝頼父子の歯髪を貰い請け、法泉寺に持ち帰り葬りました。
勝頼は生前に墓所を定めていなかったため、徳川家康は本寺を勝頼の菩提寺と定めるとともに、快岳和尚を中興開山に位置づけたと伝えられています。
法泉寺の境内には武田勝頼公、及び武田氏中興の祖とされる武田信武公の墓が並ぶようにして建てられている。
【所在地】甲府市和田町2595 詳細はコチラ
【訪問日】 2004年8月10日
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