| 近江 山崎山城 |
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| 【城郭の概要】 所在地:彦根市里根町,清崎町 別 名 : − 築 城 : − 初城主:山崎憲家 区 分 :平山城 遺 構 :石垣,土塁 面 積 : − 比高 約50m 市指定重要文化財
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・交通:県道2号線・山崎地区 ・駐車:空き地を利用 ・撮影:1999年4月,2001年3月,2003年2月
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【現地の状況】 山崎山城は佐々木六角氏の家臣山崎氏の居城で、下街道(現在の県道2号線、通称朝鮮人街道)を見下ろす丘陵地にある。 この辺り一帯は曽根沼が広がり、通行も不自由であったとされるが、織田信長が安土城の築城後に下街道の整備をすすめた。 山崎山の背後は琵琶湖と荒神山、周囲は宇曽川と沼地に囲まれ、当時は下街道の監視の役割を担っていたと考えられる。
この山崎山城は彦根市の教育委員会によって平成4年(1992)から5年(1993)にかけて発掘調査がおこなわれ、素焼きの小皿などを多数発掘された。 その後、2000年頃から公園化が進められ2003年に史跡公園となりましたが、整備と称した工事で山崎山城は、見るも無惨な姿になってしまいました。 この整備にかかった費用が、61,855,000円だったと聞いています。多額の公費をつぎ込んで、こんな整備をする必要があったのでしょうか。 当時、彦根市教育委員会の文化財課長の某氏(名前は伏せておきますが)に、質問状を出しました。 ----------------------------質問状−1 何を目的として、あのような整備をされたのか。また、中世城郭の整備にあたっての基本的な考え方、あるいは方針を示してください。 ----------------------------ココマデ ----------------------------以下が、文化財課長からの回答 山崎山城跡の整備方針につきましては、有識者によります城跡整備基本計画策定検討会を設け、貴重な中世城郭遺構を活かした史跡公園として整備を図ることとし、石垣等の遺構の保存を中心とした整備を進めていくこととしております。 山崎山全体が風化の進んだ花崗岩から形成されており、急傾斜かつ大変崩壊しやすい地形・地質であることが分かり、石垣の崩壊等を防ぐことが急務となりました。そのために、遺構保存の第一段階として、山頂部の急激な土砂流出を防止し、石垣の崩壊が進行しないよう張り芝を施し、表土層の安定化を図ったものでございます。 ----------------------------ココマデ ----------------------------回答に対する質問状−2 ・有識者とは何に対する識見を持たれた人か、差し障りがなければ氏名の公開 ・「城跡整備基本計画策定検討会」の議事録の公開 ----------------------------ココマデ ----------------------------以下が、文化財課長からの回答 有識者による検討会での意見等をとりまとめた「山崎山城跡整備基本計画報告書」を一部送付させていただき、ご質問に対するお答えに代えさせていただきます。 ----------------------------ココマデ 以上のような顛末で、全く話になりませんでした。 皆さんはどのように感じられますか。 この山崎山城、あるいは中世城郭の保存に関するご意見があれば、 minoura@mx.biwa.ne.jp までお寄せください。 【城郭の歴史】 山崎氏11代当主憲家は、はじめ相模国山崎(小田原市の西、石垣山と湯本との中問)に居城していた。 そののち頼朝の命を受け、近江国犬上郡山崎に近江の守護職佐々木氏の被官地頭として移ったとされている。 |
