和田城

和田氏の紋

(七曜)

【城郭の概要】

所在地:甲賀郡甲賀町和田字棚田
別 名 : -
築 城 :和田伊賀守惟政
初城主:和田伊賀守惟政
区 分 :平城 
遺 構 :土塁




城址遠景

・交通:県道4号線油日農協の信号を南入る、県道51号線
・駐車:路上駐車
・撮影:2000年5月
遺構の保存状態 ★★
遺構確認し易さ ★★
体力消耗度
お勧め度 ★★

★の数の多い方が良い(または、激しい)

・和田惟政の墓が安土町・浄厳院にある。
現地の状況
 県道51号線から和田地区に入り、和田川の手前を左折するとすぐに小さな田圃を隔てた山の麓に白く小さな立て看板が見える。これが甲賀教育委員会が立てた和田城跡の説明版である。これ以外に目印はない。
 2段になった削平地は20×20m,30×30mの方形であり、西側は急斜面で和田川へ落ち込んでいる。南側と東側は山の斜面で隔離されている。
東側の斜面を山上へ続く道をたどり3mほど上がると、視界が急に開ける。山の斜面と思っていたのが、なんと土塁であった。高さ6m前後はあろうかという土塁と山の斜面を垂直に削り落とした壁に囲まれた削平地が現れた。その広さは50m×50mほどもあり、主郭跡と考えられる。
 削平地の中から後ろを振り返ると、入り口の部分だけ土塁を築かず、幅3mほどの虎口を形成している。下段の削平地を振り返ると、虎口に達するまでの道は3回の "折れ" のあることが確認できる。
北側の土塁はやや低く、その高さは3mほどであるが、土塁の向こうは急勾配の斜面となっており敵の侵入に対して配慮されている。北側土塁の東隅に幅1mほどの虎口が設けられている。虎口と云うよりも埋め門的に使われたように思われる。
 この和田城、規模こそ小さいが、城としての完成度は高い。

【城郭の歴史,その他情報】

 この城は、甲賀地方に残る中世城郭の代表的なもので、城主は和田伊賀守惟政と推定される。和田惟政は、近江守護佐々木六角の軍奉行を務め、足利義昭を領内に亡命させ、室町将軍に擁立した武将である。その後、雄琴城主(大津市),芥川城主(高槻市)となり、キリスト教伝来で有名なフランシスコザビエルを保護し、彼を信長に会見させた武将でもある。
 本城は天守台の存在が推定でき、中世城郭と近世城郭を結ぶ貴重な遺構である。     (現地案内板より)

【見所】
 
天守跡と考えられる、主郭東側の一部(30m×10m)が約1m高くなっている箇所や、縄張りは見所。




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