土山城

【城郭の概要】

所在地:甲賀郡土山町北土山
別 名 :−
築 城 :文明年間(1469〜1487)
初城主:土山鹿之助盛忠
区 分 :平山城 
遺 構 :空堀,土塁,堀切
面 積 :








.

谷筋から城域に入る虎口部


・交通:国道1号線土山町役場信号北入る、東へ200m、わらく公園前
・駐車:なし
・撮影:2001年7月
遺構の保存状態 ★★★
遺構確認し易さ ★★
体力消耗度 ★★
お勧め度 ★★

★の数の多い方が良い(または、激しい)
現地の状況
 緩やかな傾斜の谷筋の山道を約5分ほど登ると、分厚い土塁で造られた虎口に到着する。虎口横の武者隠し的な曲輪が目を引く。城域は東西に広がる緩やかな丘陵地としている。
 曲輪配置は丘陵地の高低差を巧みに利用しており、土塁と思えば曲輪の切岸で、切岸を登り、空堀を越え30分は歩き回らないと全貌が掴めない。
 主曲輪の東には袖曲輪を介して堀切を2本配置し、また南には土橋を介して馬出し曲輪を設け、虎口は枡形という高度な築城技術が使われている。


【城郭の歴史】
 
この城は文明年間(1469〜1487)音羽野城主頓宮四方介利盛の二男、土山鹿之助盛忠の築いた城である。土山鹿之助は甲賀武士53家のうち特に21家の武名を仰いだ武将でもあった。
 天正10年(1582)土山左近太夫盛綱に至り、織田信長の家臣滝川一益のために滅ぼされるまで子孫相次いで本城の領主であったが之により一時滝川氏の有に帰している。
 本城の規模は東西60m、南北50mの本居跡を有する外広大な空堀や土塁を巡らす住居跡があり古城の名残が偲ばれる。
(現地案内板より)





TopPageへ