| 多喜山城 |
| 【城郭の概要】 所在地:栗東市六地蔵 別 名 :日向山城 築 城 : − 初城主: − 区 分 :山城 遺 構 :土塁,枡形虎口,石垣 面 積 :130m×50m . |
![]() 【多喜山城山頂からは東山道と東海道を一望できる】 【縄張り図】 |
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・交通:国道1号線南入る、県道12号線団地前バス停 ・駐車:登り口の広場に5〜6代台駐車可 ・撮影:2002年6月
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【現地の状況】 多喜山城は日向山の山頂にあり、頂部を利用した小振りな城で、60m×50mほどの主曲輪の西に袖曲輪を設けた単純な縄張りの城である。 主曲輪の東と西に虎口を設け、西虎口は幅2mほどの平虎口であるが2〜3段の石垣を積み上げており、現在の登り口のこの虎口を利用した形になっている。東虎口部は斜面の傾斜が急な上に、倒木とブッシュで荒れている。 しかし、この虎口が城中で最大の見所で、斜面と地形を巧みに利用し、2本の土塁を造るだけで、3折れの枡形虎口を作り出している。これには見事と云うほかない。よほど縄張りに精通した者が短期間で築城したのではないかと推定される。 主曲輪の中央から西寄りに井戸がある。また、東側には周囲を土塁で囲んだ、15m×15mほどの空間があり、虎口は設けられておらず、天守閣の穴蔵のような構造である。物見櫓のようなものが建てられていたのだろうか。 山頂からは西に東山道、北に東海道を一望し、視界を遮るものは何もない。まさしく街道を押さえる城である。一方東に目を転じると、元亀年間に六角承禎が立て籠もった石部城があり、その距離約3km。多喜山城をこの地方における戦いと関連付けた場合、六角承禎が立て籠もる石部城攻略のため、織田軍が築いた付城ではないかと想像される。 更には、石部城の東、鉗子袋地区の丸岡城も、石部城を取り巻く関係の中で、構造的にも注目される城である。 【現地案内板】 日向山は栗東市六地蔵・伊勢落地先に位置し、三上山(前方に見える山でその形から"近江富士"と呼ばれてます)を小さくした形の美しい山です。 標高222mの山頂からは、野洲川や琵琶湖など眼下に360度の景色を眺望することが出来ます。 戦国時代には眺望が利くこと等の利点から、東海道を眼下に見下ろせる重要な地点である当地に城が築かれたとされています。 そして、この山の別名から「多喜山城」と呼ばれ、その主郭の西と東に虎口を作り、また侵入してくる敵兵の側面攻撃をするための横矢掛かりや石垣を設ける等優れた構造をしています。 これらの特徴からも、「安土城」から先行して、元亀2年(1571)以降に栗田郡一帯を支配する目的で織田信長方により築城されたものであるとされています。今に残る平坦地、土塁、虎口や石垣は当時のもので、在りし日の姿が偲ばれます。何時の頃か城は廃され、主郭の跡には「竜王神の祠」が祀られ、信仰の山として人々に親しまれるようになりました。 そして、この度「栗東町ふるさと創生事業」により、町民のふれあいと体力作りがはかれる場として、ふもとから頂上まで357mの山道に721段の石段を整備いたしました。あふれる緑と眼下に広がる景色をゆっくりとお楽しみ下さい。 栗東市 【城郭の歴史】 詳細不明 要衝の地に高度な築城技術で造られているにもかかわらず、この城に関しては記述されているものはない。 |