所在地:犬上郡甲良町正楽寺
別 名 : −
築 城 :応安元年(1368)
初城主:高筑豊後守
区 分 :山城
遺 構 :土塁・石垣・竪堀
城 域 :430m×70m
標高300m
比高150m
|

国道307号線勝楽寺看板を山手入る
詳細位置はコチラ

空地を利用
【訪 城】1999年10月,2003年10月
【撮 影】1999年10月,2003年10月
|
| 評価項目 |
見所評価 |
| 選地 |
★★☆ |
| 縄張り |
★★☆ |
| 普請 |
★★☆ |
| 体力消耗度 |
★★☆ |
| お勧め度 |
★★★ |
★が多い方がお勧め (三段階評価)
体力消耗度
★:山道はほとんどなし
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り
|

勝楽寺城址は慶雲山勝楽寺の裏山にあり、急峻なハイキングコースを登ること約20分で山頂の平坦部に出る。
この間、眺望の開けた場所からは六角氏の居城・観音寺城が手の届くような距離に見え、近江半国を分け合う六角氏と京極氏が、かくも近いところに本城を構えていたことに、改めて不思議な感じがした。
山頂の曲輪は平坦な30m×30m程度の広さ利用して作られ、主曲輪東側斜面には見事な石垣が約30mにわたって残っている。石垣の隙間からは裏込め石も確認され、高度な石積み技術により積まれている。
この石垣が京極氏によるものか、はたまた六角氏によるものか、非常に興味を引かれるところである。
また、南斜面にある畝状竪堀群は近江では非常に珍しく、鎌刃城(米原市)との関連性が考えられる。
勝楽寺山門は勝楽寺城の上藹屋敷の城門で、勝楽寺山の中腹にあったものを天明年間(1781〜1788)に山麓に移築したものであるといわれている。
勝楽寺城の山頂より西方は甲良町字正楽寺に属し、東方は多賀町楢崎に属しており、大手道は楢崎側と云われており、勝楽寺側から登る道は搦手とも考えられている。
慶雲山勝楽寺は"ぼさら大名"の異名で知られた京極道誉高氏が雲海和尚を請じて開山したものであり、道誉の菩提寺で境内には道誉の墓がある。道誉は晩年この地に隠棲し、応安6年(1373)この地で78歳の生涯を閉じた。
本堂には道誉が息子の高秀に還暦の時に描かせたという肖像画が保管されている。この肖像画はは模写本で正本(国の重要文化財)は京都国立博物館に寄託されている。
なお、道誉の墓は京極家の菩提寺・清滝寺徳源院(米原市清滝288)にもある。
応安元年(1368)京極道誉(佐々木道誉)が館と領地を守護するために高筑豊後守に命じて築城。その後、織田信長によって落城、麓の勝楽寺と共に炎上した。
京極氏には江南・六角氏の観音寺城のような歴代城主が居城とした城はなく、大平寺城,上平寺城,柏原城,勝楽寺城,河内城と居城を替えていた。
|
|