| 所在地:大津市田上関津町 |
| 別 名 : − |
| 築 城 :13世紀半ばか |
| 初城主:宇野氏 |
| 区 分 :平山城 |
| 遺 構 :堅堀,堀切,土塁 |
| 城 域 : − |
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県道29号線関ノ津交差点から約500m北東、関ノ津郵便局
詳細位置はコチラ 
空地を利用
【訪 城】2005年6月
【撮 影】2005年6月
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| 評価項目 |
見所評価 |
| 選地 |
★★☆ |
| 縄張り |
★★☆ |
| 普請 |
★★☆ |
| 体力消耗度 |
★★☆ |
| お勧め度 |
★★★ |
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★が多い方がお勧め (三段階評価)
体力消耗度
★:山道はほとんどなし
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り
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関ノ津郵便局から50mほど東の道を200mも行くと墓地がある。墓地の下流約100mほどの所に渡河地点がある、幅2〜3mの川で渡河地点は大げさであるが、深さ2mほどの川に降りるハシゴが付けられている。
川を渡り、少々の藪漕ぎをすると谷に出る。関津城はこの谷を挟んだ西側に位置しており、台地から北に向かって派生する支尾根を中心に築かれている。
谷に入るといかにも削平されたといった地形が広がり、どこまでが城域なのか極めて分かり難い。
谷の北側に三方を土塁を巡らした曲輪がある、土塁が曲輪全体に巡らされているわけでもなく、不自然な印象を受けるが、じつはこの土塁、曲輪に巡らせた土塁ではなく、屈曲させ枡形虎口状の構造を形成する土塁である。
この枡形虎口状の構造というのは、この枡形虎口は2方向から入れるような複雑な構造をしているのだが、一見土橋様の土盛りを越えて曲輪に至ることになり、この時は結論を出すには至らなかった。
枡形虎口状の地形を抜けると、右手に高さ3m〜4mほどの土塁、左手は自然地形の斜面で、自然の谷を利用した形で広大な曲輪が広がる。
削平状態は良いとはいえないが、東西は70〜80mほどもあり、とにかく広い。
曲輪の左手斜面(南東)を比高差にして約30mほど登り切った位置に15m×15mほどの方形の主曲輪があり、北西側を開口して三方には土塁を巡らせている。
主曲輪虎口は北側に設け、北から西にかけて帯曲輪を配置しているが、南方と西方の背後には、土塁以外の防御施設は設けられていない。これは500〜600m西方を流れる瀬田川を背後の頼みとしているためであろうか。
以上が関津城の概略で、この関津城の興味深い点は枡形虎口であることは上述した通りであるが、じつはもう一点、非常に興味深い遺構が残されている。
これから紹介する城郭遺構を関津城として取り扱うのかどうかは判断に苦しむところであるが、距離的にも非常に近く、とりあえず関津城の遺構として紹介する。
関津城の谷を挟んだ東側(川を渡って谷に入ってきた)の支尾根の先端部に堀切がある。切岸は垂直断ち切られ、これが当時のものか、それとも後年のものか、判断に苦しむ所であるが、この支尾根を登り、藪漕ぎをしながら尾根を南〜南東に向かって約10分も歩くと、右手(南〜西)谷筋の比較的なだらかな斜面にスケールの大きな竪堀群がある。
竪堀そのもののスケールが大きく、自然地形と見間違えるが、200m〜300mの間に少なくとも13条の竪堀が連続して掘られている。
竪堀の斜面上には曲輪が配置され、城郭遺構であることは間違いないのだが、この遺構が関津城と連携して谷に入った敵を挟殺するための防御施設か、それとも関津城を攻める敵方が築いた陣城なのか興味は尽きない。 |
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宇野源太郎守治が承久の乱の戦功により当城主となった。その後宇野氏は音地氏の旗頭として草津・守山付近で勢力を伸ばした。 |

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