篠山城

【城郭の概要】

所在地:甲賀郡甲賀町鳥居野字八幡山 
別 名 : −
築 城 :慶長年間(1569〜1615) 
初城主:大原篠山理兵衛景春
区 分 :平城 
遺 構 :土塁・堀 
面 積 :100mx150m 

町指定史跡 
















   
             【本殿横の土塁跡】
現地の状況
 篠山城は現在の大鳥神社の建っている位置にあったと云われている。
大鳥神社の境内奥の西側には高さ3mの土塁と、土塁により形成された空跡を確認することが出来る。その空堀は30mの間隔を置いて、二重構造となって大鳥神社本殿を囲むような形で掘られている。また、大島神社の本殿東側には、庭園と思われる遺構を確認出来る。
大鳥神社の前(東)の大原川は東側から北側に向きを変えて流れてこの丘陵地一帯を囲むように流れており、外堀として利用していたことが想像される。
 甲賀町に残る他の城郭遺構の中でもっとも整備された城郭。石垣は使用されていないが、土塁で構成される城郭の規模としては甲賀郡の中でも最大のものと云われている。

・交通:県道4号線甲賀駅前北入
・駐車:20台
・撮影:2000年5月
遺構の保存状態 ★★
遺構確認し易さ ★★
体力消耗度
お勧め度 ★★

★の数の多い方が良い(または、激しい)
【城郭の歴史】
 慶長5年6月、徳川家康は上杉景勝を討つため伏見より東下して、石部で宿泊をしていた。水口岡山城主長束正家がそこへ参上して、岡山城への招待を申し出たが、篠山城主篠山備中守理兵衛景春は、その紹待が豊臣方の策謀であると家康に告げ、夜中に家康を鈴鹿峠まで送った。慶長5年8月1日、鳥居元忠の麾下に属して伏見城を守る。しかし、長束正家は、伏見城に立て籠もる甲賀武士に妻子を人質として降伏をすすめるが、応じなかったため伏見城は落城。
 篠山城は、理兵衛の戦死で廃城となるが、徳川幕政下では再び篠山氏は同地で陣を構え代官となる。

【見所】
 近江では珍しい二重に配した空堀。ただ、この空堀の辺りはあまり整備されていない。



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