音羽野城

【城郭の概要】

所在地:甲賀郡土山町瀬の音
別 名 :頓宮屋敷
築 城 :文明年間(1470〜1486)
初城主:頓宮四方介利盛
区 分 :平山城 
遺 構 :土塁,空堀,庭園
面 積 :50m×60m








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曲輪南側の土塁



・交通:国道1号線より県道9号線(大河原北土山線)を北上、野洲川・青瀬橋手前
・駐車:なし
・撮影:2001年7月
遺構の保存状態 ★★
遺構確認し易さ ★★
体力消耗度 ★★
お勧め度 ★★

★の数の多い方が良い(または、激しい)
現地の状況
 案内板横から南東斜面を登りきると曲輪の北側に出る。時間にしてその間5分程度。甲賀特有の方形単郭の城郭であるが、城域は広い。
土塁は曲輪の北側を除き、三方に巡らされており、南側の土塁は高さ3〜4mに及ぶ見事な土塁である。
空堀が西〜南〜東に巡らされ、南側は二重空堀としている。北側は急斜面で野洲川に落ち込んでいる。
 虎口は南側に2カ所,東側に1カ所設けられ、東と南東のものは平虎口であるが、南西の虎口は空堀を巧みに使い枡形を形成している。
 この虎口の配置から大手は南と考えらる。

【城郭の歴史】
 文明年間(1470〜1486)頓宮四方介利盛が音羽野村を領した後、築城して、頓宮城より移り住んだ。
 それ以来当城に住み代々継いだが、元亀元年(1570)頓宮因幡守守孝の時、近江の守護職佐々木六角氏没落し、織田信長に降りたが、天正13年(1585)豊臣秀吉に没収された。
 音羽野城の位置は、現青瀬橋の南東の小高い丘上にあって、現状は松、杉等の混植林となっている。本丸跡と考えられる地点には庭石などの残され、内堀・外堀も原形をとどめている。
                        平成7年3月 土山町教育委員会
(現地案内板より)



 




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