大森城

【城郭の概要】

所在地:八日市市大森町
別 名 : −
築 城 : −
初城主:布施氏
区 分 :山城 
遺 構 :土塁
面 積 : −






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曲輪跡

・交通:県道370号線・瓜生津信号北入る大森町信号南
・駐車:路上駐車
・撮影:2001年2月,2004年2月
遺構の保存状態 ★★
遺構確認し易さ ★★
体力消耗度 ★★
お勧め度 ★★

★の数の多い方が良い(または、激しい)
現地の状況
 大森城へ登り口は大森神社の駐車場横の狭い林道(アスファルト舗装)を数百m走ると、右手に山道があり、山道横に大森城址(本丸跡まで200m)の石碑が建っている。 山道を辿ると途中、いくつもの曲輪跡が確認でき、家臣団の屋敷跡と思われる。
 約10分ほどで尾根に出る。尾根に出て周囲を見渡すと、そこが堀切の底(堀底道)であることに気がつく。
この堀切から西へ数十m程のところにもう一本の堀切を確認することが出来る。ここが西の防御ラインと考えられる。
 尾根道を東へとると、右手には広い削平地が確認できる。幾つもの曲輪に区切られていることは判るが、明瞭でないのが残念だ。
 これら曲輪跡から一段高い本丸へは土橋を経て登るルートと尾根筋から廻るルートが確認できる。本丸跡は北に開けた形で周囲に土塁を巡らし、東と西の2カ所に虎口を設けている。
一帯は雑木が茂っているが、北に大森町と八風街道、南に蒲生町を眺望できる。
一騎駆け状の主曲輪東尾根


【2004年3月追記】
 野寺城(竜王町)の放射状竪堀群の遺構を見てからは、東近江における竪堀の共通点を見いだせるのではないかとの想いと、主曲輪の虎口を再度確認する目的で再訪城した。
 大森城の南斜面には8条の竪堀が掘られているが、ブッシュが激しくて落葉期にしか全貌を確認することは出来ない。今回の訪城で大森城の竪堀は、その一つひとつの幅が広く、ややもすれば自然谷と見間違うほどであることを確認した。その点、県教育委員会の「中世城郭分布調査」記載の縄張り図を見ているだけでは南斜面の状況は掴みきれない。
現地で見ると、竪堀が畝状というか、放射状というか、適切な表現はし難いが、斜面を堀で埋め尽くしている。この竪堀の幅の広さは、他府県で見る竪堀とは明らかに異なる。
竪堀の幅が異様に広いという点については、野寺城についても同様であり、観音寺城における南腰越えに見られる竪堀とも共通する。
堀幅が広いことだけをとらまえて云々というのは、如何なものかという気はするが、こんなところに六角氏の築いた城の特徴を見るような気がする。

 さて、大森城の北側虎口であるが、切り出しの土橋を3折れで主郭に至る構造で、虎口を見下ろす位置に櫓台が配置さられており、巧みな縄張りである。
この大森城の虎口が、いつの時代に現在のような構造に改修されたのか、非常に興味のあるところで、近頃廻った和南城や観音寺城と共に、近江の築城技術を観ていく上で、注目に値する城である。

【城郭の歴史】
 
日本城郭大系によると、布施淡路守の子藤九郎公保が在城したと伝えられ、「大洞弁天当国古城主名札」に上大森城主としてその名がみえる。
詳細不明。




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