所在地:甲賀市土山町鮎河
別 名 : −
築 城 :長享年間(1487〜91)
初城主:大河原源太
区 分 :平山城
遺 構 :土塁,堀切,空堀
城 域 :100m×100mか
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国道1号線土山役場前から県道9号線を経て鮎川地区へ、鮎河小学校南側の坊前橋を渡って右手の丸治鉄工の裏から山中に入る

空地を利用
詳細位置はコチラ 
【訪 城】2001年月,2008年4月
【撮 影】2008年4月
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| 評価項目 |
見所評価 |
| 選地 |
★★☆ |
| 縄張り |
★★☆ |
| 普請 |
★★★ |
| 体力消耗度 |
★★☆ |
| お勧め度 |
★★☆ |
★が多い方がお勧め (三段階評価)
体力消耗度
★:山道はほとんどなし
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り
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大河原城は野洲川が松尾川橋から北に方向を変える鮎河の右岸(西側)の山中にあるが、高さ2mの猪除けのフェンスが山の周囲を延々と続くため、登城道よりもフェンスを越える場所を探すことから始まる。
鮎川地区にある丸治鉄工の裏手から山中に入り、10分足らずで城域に着く。
主曲輪は東西35m、南北40mほどの広さで、南側斜面には石段の跡が認められ、ここが大手虎口か。
主曲輪の西〜北〜東には土塁が築かれて、西側土塁には土塁の内法を石垣で固めたのであろうか、15〜20cmほどの石が散乱している。
また主曲輪の周囲には南側を除き、空堀を廻らせ、西,北,南に延びる尾根には堀切を入れるなど、主曲輪を取り巻く縄張りは黒川氏城と非常によく似ている。
甲賀においては単郭方形の館城が多い中、この大河原氏城は黒川氏城と共に求心性の高い縄張りがされており、甲賀武士とは権力構造の異なる勢力が改修しているのではないかと感じた。
大河原氏城は長享年間(1487〜91)甲賀武士大河原源太が築き、天正年間(1573〜90)黒川氏とともに滅んだ。(甲賀郡史)
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