| 近江 小倉城 |
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| 【城郭の概要】 所在地:東近江市小倉町 (旧愛知郡愛東町小倉) 別 名 : − 築 城 : 承暦年代(1077〜1080) 初城主:小倉景実 区 分 :平城 遺 構 :空堀,堅堀,土塁 面 積 :1000m×500m
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・交通:国道356号線・妹信号より東入る ・駐車:空地に駐車 ・撮影:1999年6月
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【現地の状況】 小倉城の城域は、小倉地区の東を流れる千手川から西へ2kmの間の広大な範囲で、その間に武家屋敷などを構えていたとされる。 小倉城址の碑が建てられている辺りが大手口と考えられており、左右を石垣に囲まれた切り通しを登れば左右に分かれた台地上に出る。 この切り通しは本丸を横断して作られた小倉新道で、切り通し道の右手(東側)の高台上は二の丸といわれている。 現在も城址碑が建つ辺り一帯に空堀,堅堀,土塁等を確認することが出来る。 【城郭の歴史】 小倉城は承暦年代(1077〜1080)に清和源氏の後裔小倉景実が、背後に鈴鹿山脈を擁し、眼下に愛知川を望む天然の要害に築いたものである。 室町中期に小倉家は3〜4家に分家し小倉氏本家は蒲生郡佐久良庄に移り、佐久良城を築いて本城とし、周辺に四谷城,鳥居平城,長寸城等を築いて家臣を入れて守らせた。 分家した小倉東家は愛知川小椋庄を支配して高野城ならびに小倉城を居城とし、 小倉西家は神埼郡御園庄(山上郡)を支配し、山上城を本拠として和南城,山田城、相谷城,九居瀬城,八尾山城等の支城を設けた。 小倉氏は承暦年代に小倉城を築いた以後、約500年間にわたって愛知,神崎,蒲生三郡の東部を領し、六角氏、蒲生両氏の隣強と東近江の雄を競ったが、永禄年代(1558〜1569)に至って、小倉氏族の間に内乱が起こり、第17代城主良秀が敗れて、城は焼亡し、同族は各地に散逸した。 |
