近江 小川城

【城郭の概要】

所在地:甲賀市信楽町小川
別 名 :小川鶴見城
築 城 :正安2年(1300) 
初城主:鶴見伊予守
区 分 :山城  
遺 構 :土塁・空堀・石垣・門跡
面 積 :100m×30m

県指定史跡



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土塁を廻らせた主曲輪


・交通:県道138号線小川地区
・駐車:山道に駐車
・撮影:2000年12月
遺構の保存状態 ★★★
遺構確認し易さ ★★
体力消耗度 ★★
お勧め度 ★★

★の数の多い方が良い(または、激しい)





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【現地の状況】
 小川城へは県道138号線小川地区に大きな案内板が建てられており分かり易い。また、登り口からは狭いながらも林道が作られており、車高の高い車なら城址下まで行くことが出来る。

 林道手前に車を置いて、徒歩で登ると約25分程で山頂の城址に着く。
南北に延びる尾根上に長さ約100m、幅約30mにわたって築城。最北の曲輪は南北35m、東西20mで城中最大の広さで、さらには東側に物見台らしき高台を配している。

 この曲輪から二つの曲輪跡を経て、10m×10mの広さを持つ主曲輪に出る。主曲輪の周囲には土塁を巡らし、北側に虎口を設けている。

 また、南側斜面には2段の曲輪が配されているが、この曲輪南側の斜面は人工的な切岸のようにも見える。人工的なものなら、約60m程離れた小高いピークも物見台的な役割を果たしていたようにも考えられるが・・・・。

なお、城域は整備がいきとどいており、遺構は非常に見やすい。


【城郭の歴史】
 小川城は嘉元3年(1305)に鶴見氏によって築城されたとの伝承があるが、定かではない。
 戦国期には多羅尾氏の支城である西之城中之城と共に大規模な改修を受け、一体となって機能していたことが考えられる。

 天正10年(1582)の「本能寺の変」の際、徳川家康が三河へ逃げて帰る途中信楽で一夜を明かしたのは、本城であったとも伝えられている。
 なお、徳川家康は本能寺の変の礼にと、光世の御刀を贈り、山城、大和、伊賀信楽の内八万石を多羅尾氏に与えた。

 文禄4年(1595)、豊臣秀次の罪に連坐し、多羅尾氏は領地を没取される。この時に、小川城も廃城となるが旧領地多羅尾二百石は許され、多羅尾に住した。

 慶長5年(1600)、再び家康より食禄1500石を与えられ、天領の代官となり、屋敷(多羅尾代官屋敷)を設けて世襲し、一族から伊賀上野藩に仕える者もいて幕末に至る。

近江の城郭