| 所在地:近江八幡市小田町 |
| 別 名 :高畠氏館 |
| 築 城 : − |
| 初城主:高畠氏 |
| 区 分 :館 |
| 遺 構 : − |
| 城 域 : − |

小田町の小田神社から
詳細位置はコチラ 
空地を利用
【訪 城】2008年3月
【撮 影】2008年3月
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| 評価項目 |
見所評価 |
| 選地 |
★☆☆ |
| 縄張り |
★☆☆ |
| 普請 |
★☆☆ |
| 体力消耗度 |
★☆☆ |
| お勧め度 |
★★☆ |
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★が多い方がお勧め (三段階評価)
体力消耗度
★:山道はほとんどなし
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り
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小田城(高畠氏館)は小田神社から北へ約200m、愛宕山を祀ったお堂の建っている一帯だとされ、高畠氏の末裔の方の話では、堀なども残っていたようであるが、今では城郭遺構らしきものは残されていない。
地図からお堂の建つ一帯の地形を観てみると、 お堂の建つ位置を南端として道路が約1町(約100m)四方の方形をなしている。
これが当時の地籍そのままだとすると、小田城は1町四方の方形館であった可能性がある。
なお、小田城は織田信長の側室・お鍋の方の生家ということもあって、小田町にはお鍋の方にまつわる話が残されている。(小田町に伝わるお話)
お鍋の方は小田城主高畑源十郎の四女として生まれ、八尾城主・小倉右京亮実房に嫁ぐが、実房が越前・金ケ崎城攻めで浅井長政の離反にあった織田信長を近江から美濃へ抜ける千種越えを案内したことから、六角承禎に攻められ実房は戦死。
この後、お鍋の方は信長の側室となるまで、遺児を抱え姉の住む小田の三崎家を仮住まいとしていたという。
こうした関係で小田町には、お鍋の方の菩提を弔った「お鍋塚」が残されている。
また、お鍋の方にまつわる話題としては、2002年に滋賀県安土城郭調査研究所が、東近江市永源寺高野町のお鍋屋敷との伝承のある一帯を調査し、高野城ではないかとの結論を出している。
小田町には高畠氏の子孫の方が今でも多くお住まいで、何時の頃か姓は高畠から高畑に改姓されたという。
小田城に関して詳しいことは不明。
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