
・交通:国道8号線六枚橋の信号を南入る、県道14号線川守信号を東入る
詳細位置はコチラ
・駐車:妹背の里の駐車場を利用
・撮影:2004年1月
| 遺構の保存状態 |
★★ |
| 遺構確認し易さ |
★★ |
| 体力消耗度 |
★★ |
| お勧め度 |
★★ |
★の数の多い方が良い(または、激しい) |
【現地の状況】
野寺城は雪野山の尾根が南西に延びる先端に、南北に三つのピークをもつ独立峰の北端のピーク上に築かれている。
東は眼下に日野川が山裾を洗うように南に流れ、北は蛇砂川が丘陵に沿って流れる上、山頂からは蒲生野一帯を眼下に置く、要衝・要害の地にある。
妹背の里の駐車場に車を置き、やや北よりのピークを目指して斜面を登る、雑木も比較的少なく、谷筋からも登れそうであるが、山城攻めの基本は尾根からである。
登り初めて5分ほどで3本の竪堀が連続する竪堀群の下に出る。いわゆる畝状竪堀であるが、一つひとつの竪堀が深く,長大で畝状竪堀という表現は適切でない。この辺りから斜面は斜度を増し、約35〜40度の斜面を10分ほどかけて登ると山頂(駐車場からの比高約70m)に出る。
主曲輪は南北25m、東西30mほどの広さで、周囲には幾つかの曲輪を伴っているが削平状態は良くなく、曲輪とは断定しがたい箇所もある。
こうした曲輪の状態と似つかわしくないのが、周囲の斜面に掘られた竪堀群である。幾つか自然谷を利用したものもあるが、一つひとつの堀がスケールが大きく徹底した防御意識の強さが感じられる。
一方で北麗の竜王山遺跡に続く尾根、および南尾根には、不思議なことに堀切がなく、尾根筋に対する防護意識が全く感じられない。
この地域の軍事的な緊張、及び軍事行動は元亀元年(1570)の六角軍と織田軍の落窪の戦いまでで、六角軍と織田軍の戦いの中で築かれた城であることには間違いない。しかし、東近江における中世山城には、こうした竪堀主体の城は非常に珍しく、六角氏の築城だとすれば、南近江における築城思想の変遷を考える上で非常に面白い城と云える。

なお、野寺城へは竜王寺から登るほうが斜度も緩やかではあるが、道が分かり難く、妹背の里駐車場から斜面を直登するのがお勧め。
【城郭の歴史】
詳細不明
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