所在地:犬上郡多賀町楢崎
別 名 : −
築 城 : −
初城主: −
区 分 :平城
遺 構 :土塁
城 域 : |

国道307号線金屋信号を東入る
詳細位置はコチラ

高源寺駐車場に3台
【訪 城】2001年4月
【撮 影】2001年4月
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| 評価項目 |
見所評価 |
| 選地 |
★☆☆ |
| 縄張り |
★☆☆ |
| 普請 |
★☆☆ |
| 体力消耗度 |
★☆☆ |
| お勧め度 |
★☆☆ |
★が多い方がお勧め (三段階評価)
体力消耗度
★:山道はほとんどなし
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り
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高源寺西側山麓の竹藪内に土塁,堀跡の遺構らしきものが認められるが、城郭遺構と特定するまでには至らない。
「近江源氏」の著者田中政三氏によると、現在の高源寺の参道が楢崎城の大手道で、背後の山には石垣下で囲った曲輪があるとされている。しかし、山頂に残っている遺構は勝楽寺城のものというのが多くの歴史研究家の見解である。
仮に「近江源氏」に記述されている通り山頂近くに楢崎城があったとすれば、勝楽寺城と非常に接近して築城されていたことになり、残された遺構の識別がなされなければならなくなるが・・・・・・・・・・。
最も、勝楽寺城と楢崎城の築城時期に時代差があったとも考えられなくはないが、楢崎城の築城年が不明では、いかんともし難い。
楢崎氏は六角氏の家臣で、六角氏の居城・観音寺城のある繖山(433m)の三角点近くにも館を構えていたが、楢崎城については詳細不明。
高源寺の山門は佐和山城の門を移築したものと伝えられている。ご住職のお話では、門に敷居が無いのは馬に乗ったまま走り抜けることができるようにとの配慮であるとのことである。(佐和山城の大手門と伝えられている彦根キャッスルロードの宗安寺の赤門も同様に敷居がない)
門の礎石間は2間、開口部は1.5間(約2.8m),高さは1.5間(約2.8m)と馬に乗ったままでも通り抜け出来そうな広さではある。
吉田勝著の「近江・勝楽寺城」によると、高源寺の山門は佐和山城の切り通し口にあった枡形門が移築されたものであるという。
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佐和山城の移築建物
■宋安寺
佐和山城の大手門が彦根市本町二丁目の宋安寺の表門として残っている。
宋安寺は徳川家の菩提を弔うために建立されたもので、門の再利用が判らぬようにと、朱塗りにされ、今も赤門の通称で市民に親しまれている。
■彦根城
佐和山口の多聞と多聞櫓、また、本丸太鼓門と続櫓も、佐和山城からの移築ではないかと云われている。
■龍潭寺
滋賀県彦根市古沢町1104
TEL:0749-22-2777
入山料:大人400円
井伊氏の始祖、藤原共保(ともやす)以来の井伊家の菩提寺で、奈良時代行によって遠江国(静岡県)井伊谷に開基された、臨済宗妙心寺派の寺院です。井伊直政が佐和山城主になったのを機に、昊天(こうてん)が佐和山(232.5m)山麓に移築した。
龍潭寺の山門は佐和山城の城門を移築したもの。また、井伊直弼や小堀遠州が茶の湯を楽しんだ飄々庵(ひょうひょうあん)の茶室は、佐和山城の城門を利用したと伝えられている。
■清凉寺
滋賀県彦根市古沢町1100
TEL:0749-22-2776
井伊家の菩提寺として、また父井伊直政の墓所として直孝が開基した曹洞宗永平寺派の寺院で、本堂裏の高台には歴代藩主の宝篋印塔がある。なお、この寺は石田三成家臣・島左近の屋敷跡に建てられている。
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