| 近江 長寸城(ながすじょう) |
| 【城郭の概要】 所在地:蒲生郡日野町佐久良 別 名 :上の城山 築 城 :鎌倉時代初頭 初城主:小倉三河守実澄 区 分 :山城 遺 構 :土塁,石積み,竪堀 面 積 :− 標高 269m 比高 約150m
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・交通:蒲生郡日野町佐久良 国道307号・中在寺信号から入る 詳細位置はコチラ ![]() ・駐車:桜谷小学校周辺にあり ・撮影:2000年8月20日
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【現地の状況】 長寸城は日野町佐久良の桜小学校の背後の小高い丘に築城されている。桜谷小学校裏のコンクリートの階段から登ると、すぐに山道に変わり、右手に大きな竪堀が山道と平行して走り、竪堀と山道との間には曲輪跡らしき削平地がいくつか見られる。 20分程度で山頂に着く、ここが主曲輪で入口には土塁の虎口が設けられている。 また虎口を右手のなだらかな斜面に竪堀が1本掘られ、、緩斜面を伝って直接本丸跡へ取り付く敵が意識されている。 主曲輪は虎口右手の土塁を最高として、からなだらかに傾斜しており、一段低くなった曲輪奥に石積みが残っている。 石積みは崩れ完全な形ではないが、長さ10m余り、高さは1m程度であろうか。 なお、麓の仲明寺は小倉氏の菩提寺で、小倉実澄,実重,実隆三代の墓だと伝えられる宝篋印塔がある。
佐久良城と長寸(ながす)城は、小倉氏の居館本城であり、佐久良城を下の城山といい、長寸城を上の城山という。 永禄7年3月九居瀬(現永源寺町)に居を構える小倉右近太夫と、佐久良城を本拠とする小倉実隆(実澄の孫・実重が早世したため、蒲生定秀の三男にして賢秀の弟を養子)の間で和南で戦いが始まり、実隆が戦死。この戦いで永源寺も焼失した。 奥津保(愛知郡,蒲生郡辺り)の城を手にした小倉右近太夫を撃つため、兵を進めた蒲生氏は小倉氏との戦いに勝利し、以後この一帯を領内に編入していくことになる。 同時に佐久良城,長寸城を初めとする小倉氏の城郭は廃城となる。
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