永原御殿(永原城)

【城郭の概要】
所在地:野洲市永原
別 名 :永原城
築 城 :−
初城主:永原氏
区 分 :館
遺 構 :土塁・堀,石垣,門
面 積 :200m×200m 




永原御殿の石垣
永原御殿の石垣

・交通:
JR琵琶湖線野洲駅下車、約3km
県道2号線永原信号東入る

詳細位置はコチラ 

・駐車:祇王小学校を利用
・撮影:1999年7月
遺構の保存状態
遺構確認し易さ
体力消耗度
お勧め度 ★★

★の数の多い方が良い(または、激しい)
【現地の状況】
 県道2号線、江部の交差点を西(琵琶湖方面)に約300m入ると、住宅地の中を抜けると、こんもりとした竹林がある。ここが永原御殿跡である。

 御殿跡の西側には石積みが残り、御殿の門が同町の浄専寺に移築されているが、この門の管理状態はあまり良いとはいえない。
また、草津の芦浦観音寺に貞享2年(1685)に移建された一棟が重要文化財観音寺書院として残されいる。

 竹林はカラスや鷺などの住み処となっていて、夏場になると悪臭が漂ってくるため、近隣の住民の人達はボランティアで竹を刈りたいと役所に申し入れたそうだが、御殿跡を保管管理する手前、許可されないとか。
 史跡保護と環境問題、どちらを優先するのか難しい問題ではあるのだが・・・・・・。

永原御殿の移築門
永原御殿の移築門

【城郭の歴史,その他情報】
 永原御殿跡は、もと佐々木氏の支流永原氏の居城・永原城であったが、永原城は文禄年間(1573〜1595)に廃城となった。

 徳川時代になり、将軍上洛の宿舎として永原城の跡地に永原御殿が造られた。将軍上洛の宿舎としては近江国内では柏原御殿伊庭御殿,水口御殿(水口城)と永原御殿がある。

 将軍家が中山道を通って上洛する場合、永原御殿の次の宿舎は京都二条城であった。
この永原御殿も、貞享3年(1686)、幕府の命によって廃城となった。



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