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国道8号線鳥居本北の信号を西へ 詳細位置はコチラ ![]()
【訪 城】2001年4月,2003年12月, 2008年9月 【撮 影】2008年9月
体力消耗度 ★:山道はほとんどなし ★★:10分〜30分程度の山登り ★★★:約1時間ほどの山登り |
同じく小野川に掛かる物生山橋から教専寺横を通って登っても良い。 最高部の曲輪から東尾根に4段の曲輪、西尾根には3段の曲輪が連郭式に配置され、東尾根は切岸主体の防御で、西尾根は傾斜が緩やかなこともあって、曲輪間は横堀で処理されている。 なお、西尾根を辿り、尾根を南下すると佐和山城の切り通しに出る。
(1)地元領主が築城 (2)佐和山城の出城として築城 (3)織田信長の佐和山城攻め時の陣城 等と考えられている。 信長公記には佐和山城に対する付城について以下の記述がある。 ---------------------------- 【信長公記】 (巻三 元亀元庚午) 「木下籐吉郎定番として横山に入置かれ、夫より佐和山の城、磯野丹波守楯籠り相□候キ、直に信長公。七月□日、佐和山へ御馬を寄せられ、取詰め、鹿垣結はされ、東百々屋敷御取出仰付けられ、丹波五郎左衛門置かれ、北の山に市橋九郎右衛門、南の山に水野下野、西彦根山に河尻与兵衛、四方より取詰めさせ、諸口の通路をとめ。七月六日、御馬廻ばかり召列れられ御上洛。」 ---------------------------- 上記、記述の「北の山」が、この物生山ではなかったかとも考えられている。
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